若松の魚屋4代

はじめに
 母の実家は若松の魚屋。幼いころ祖母の代から70年にわたって訪ねている。少し年上の3代目とは幼い頃からの兄貴分。寡黙だが奥さんとともにいつも親切に迎えてくれる。しかし、昨年末に亡くなって、その息子が4代目となった。祖母の夫が大正時代に店を開いて4代目である。祖父も伯父も働き盛りに亡くなり、その間に祖母、伯母が店を切り盛りしていたので、女2代を加えると、6代となるのかもしれない。
 店は洞海湾の渡し場から直線で市街地に結ばれる中心道路の途中にあり、看板も店構えも昔のままであり、店内に井戸があって、その清水を使う店内も昔のままであり、現在までの何代もの家族の営みの舞台である。尋ねる度に昔のままの店内に祖母や伯父が偲ばれ、訪ねた折の両親や私たち兄弟の思い出が重なる。今は伯母がいるけれど、高齢となっており、昔の思い出して、書き残してとお願いしている。社会や世間の様子も変わり、昔の賑わいは失われており、ポツンと残された魚屋は思い出のよりどころであるが、語り継ぐ人もなく忘れられるのは何か残念な気がする。

舞台とドラマ
 変わらぬ舞台で4代の歴史は日常生活の淡々とした営みであるが、断片的な思い出を繋ぐには謎が散りばめられている。祖母はどのようにして若松を一望する丘の墓地に祖父の墓をつくり、伯父とともに家業を継承していったのか。母はそこでどのように育ち、父と出会ったのか。伯母は若い頃、三味線、踊りを習って、見せてくれたことがあるが、そうした以前の楽しみはどのように変わったのか。魚屋の修行はどのようになされ、どんな技術を身に付けなくてはならなかったのか。そんな様子を幼い頃に眺めていたのに、よく考えれば、人にも説明できない謎ばかりである。