国の盛衰と山河の回復と森林美学

はじめに
 昨年は東北大震災、福島原発事故に社会の大動転が生じました。私の人生では第二次世界大戦(1920)、安保紛争(1960)、大学紛争(1969)の社会転換がありました。高度経済、バブル経済の消費経済の進展はこうした社会転換を覆い隠していきました。昨年の大動転もバブル経済の持続に汲々とした反応とともに大転換の兆しは後退しているように見えます。
 森林美学が国土美化に結合しているとしたら、国土に対する経済の破壊的影響の改善に役割を持つ必要があるでしょう。終戦の子どもの頃は、禿山に遊んで「国敗れて山河あり」を実感して育ったところでした。今日、国土は国民の生活の基盤であるはずですが、国民生活は消費経済から脱却できない状態です。

 高度経済成長、バブル経済期の自然保護運動に関わりましたが、生活との結びつきを問題にすることは希薄でした。かえって、レクリエーションの場としての自然の役割に自然保護の着地点を想定する始末でした。国が敗れても、ただ、国を復活するのに目が行き、山河を忘れたまま、ますます、山河と乖離している状態が続いています。

 ザーリッシュの森林美学は第一次大戦前のドイツの経済発展の時代に出版されましたが、第一次、第二次の大戦後にどうあったかも省みて、今日の森林美学、国土の山河の回復を考える必要があるかもしれません。

国と国民の一致と乖離
 戦後、国は経済回復と経済発展を金科玉条としてきたと考えられ、国民生活が経済発展の恩恵に浴したことは確かでしょう。しかし、その豊かな生活は所得拡大とともに消費経済に依拠するものでした。一方、経済発展は産業構造を大きく変化させ、土地利用と労働の場の転換をもたらしました。すなわち、工業の一部が飛躍的発展し、それ以外の諸産業が衰退してきました。国民生活はこの経済発展の追随を余儀なくされたといえます。