場所と地霊

はじめに
 鈴木博之「東京の地霊」は地霊がラテン語ゲニウス・ロキの訳としてながら、それを東京の各所の場所−土地の歴史に当てはめた。この考えは、田中正大の「東京の公園」によっても受け継がれた。土地の歴史はその場所の条件によってある必然的な運命を持っているかのように歴史を重ねる。確かに水の得られる場所は住みよい場所として人を集め、地域の中心となる。ドロレス・ハイデンの「場所の力」と地霊とは共通の言葉なのであろうか。
生活空間は様々な場所によって構成され、場所によって人々の生活空間が結合する。そうであれば、多くの人の結節点となる現代の最大の場所はスーパーマーケットであろうか。スーパーマーケットが人々を惹きつける力は消費される商品となる。資本の側からは流通の末端を担って消費者に根を下ろして広がる根茎のようなものである。消費すなわち買物と商店は結節点となる場所であるが、消費以外に生活を担う場所と場所による力の発揮が存在する。その例として学校、図書館、病院等公共施設を上げることができる。以上は、施設と場所、場所と土地を同一視した場合の話である。しかし、実際は同一ではない。土地に人の生活が関与することによって場所ができ、生活のための施設によって場所が生まれ、土地の特性が発揮される。
 生活の変化は施設の必要を消長させ、土地に生じた場所を変動させる。土地は変動する場所の歴史的な集積が生じる。しかし、その土地の持つ特性が変わらないことによって、場所は変動しても土地の特性によって支配されている。この土地の特性によって場所の変動の連続した歴史が生まれるように見える。それはあたかも地霊としか言いようのないものだったのだろう。
 現在を生きる人々は、生活している場所にどのような歴史があるのか意識することは少ないが、長く生きて場所の変遷を体験することによって、地霊とも意識される場所に介在した土地の特性を感じることになるのだろう。地鎮祭の土地の神々への畏怖の祓いは、地霊から場所を払拭させ、新たな場所への転換の承諾をもらう儀式なのだろうか?

土地の特性
 土地の特性は施設の立地条件になるものであろう。しかし、さらに広範な自然条件によるものでもある。生活の場としての土地の自然条件は利用し、支配される自然環境を風土として受け入れる。

場所の風致
 生活の場所となった土地は、場所を利用していく上で改善がなされるが、その改善は土地の特性の潜在力を開放することによって容易であり、生活環境に自然との調和をもたらし、場所に風致が感じられるようになる。