背景としての景観

はじめに
 遥かな昔、幼い頃の思い出は、忘れられ、孤独な死とともに消失していくが、日常生活に無関係なものとして消失させているのかも知れない。しかし、個々の人々の現在は過去の生活の流れの一端であり、死が人生の終結である点で、生きている限り、忘れらた思い出は現在の背景となっている。
 思い出は普段意識されないが、朝のまどろみの中で登場し、様々な連想とともによみがえることがある。私の祖母は明治の半ばに生まれ、戦後、祖父とともに、同居していた。食糧難の厳しい時代で、白米はめったには口にしたことはなかった。祖母は百姓の娘として生まれ、祖父が若松の鉄道の機関庫で務めていた頃に結婚し、父と伯母、叔父を生んでいる。無学で文字も知らない人であったが、道路を畑とした時代であったから、祖母が百姓の力を発揮して、生活の主役であった。台所は釜戸があり、毎日のご飯は薪の火を起こして、祖母が焚きつけた。祖母は釜からお櫃にご飯を移し、神棚と仏壇に小さな器に盛り、供えていた。
 祖母から教えられたことは、朝の掃除に神仏への供え物、畑仕事に山菜採りと考えれば、沢山ある。朝の食事は食卓を前にして、手を合せ、米を作るお百姓さんへの感謝で始まる。朝の日の出にも祖母は太陽に向かって手を合わせた。こうした日常は祖母が家族の主役であった時代に欠かされることはなかった。父が田舎から都会に転勤となり、都市近郊に移住してからは、祖母も脇役となって神仏のお守役となった。

日常に蘇る連想
 山から刻刻と顔を出し、突然に光を空と地上に漲らせる日の出は滅多に見ることがない。たまたま外に出て見ていても、見過ごしてしまう。日の出に手を合わせることもしない。しかし、太陽がいかに有り難いものかを感じた思い出を蘇らせ、椀の中のご飯粒を残して怒られたことを水田の景観から連想が生じる。山々の森林は山菜の宝庫で、周囲の景観は仕事によって、生活を支える環境の一部となっていた時代が懐かしい。景観は生きることを実感させる環境の主役であったのだと今にして考えることがある。

現代の環境
 環境の眺めである限り、景観は時代とともに変化しながら、生活の実感とともにあることは、幼い頃の思い出に変わらないものではある。住宅地に住み、市街の商店街、スーパーやコンビニに自動車で買物に出かける際の景観は、人工的であり、自然の景観は、天気の具合以外、僅かな背景でしかなく、意識から遠のいている。
 現代の生活と人工的な景観の関係は、個人生活が中心となって雑多となり、集中した生活の場も個人の利潤と独善に支配され、統一のなく、粗悪な環境が生み出されている。景観はこうした現代生活の現れであろう。酷しく慌ただしい個人生活の中で、ゆとりをもたらす共同の場所が失われている。

背景による景観の奥行