森林公園の盛衰

はじめに
 明治百周年記念事業、各都道府県百周年記念事業に多くの森林公園が生まれた。高度経済成長期の成果の上がった時期に何故、森林公園が取り上げられたのであろうか?都市住民のレクリエーション増大がまず、その要因であることは確かである。外材導入による林業の衰退によって森林の生産目的の育成が困難になりつつあり、生産効率の増強のための大面積皆伐採が問題となり、自然保護運動が拡大しつつあったことが、森林利用の転換に作用したことも要因であろう。また、広大な民有林の里山がエネルギー転換によって薪炭林の利用価値を失い、化学肥料の普及、役畜からの農業機械化による堆肥利用の縮小による里山放置の拡大、都市近郊では近郊農村の都市開発の進展によって自然環境の消失が拡大したことも森林公園成立の背景となる要因となるであろう。
 記念事業の後も、国有林の自然休養林制度、生活環境保全林制度、森林の高度利用や自然保護の制度によって森林公園や公園利用のための事業が進展していったことである。私も僅かながらこうした事業の計画策定に関与したことがある。林業生産目的からの森林施業転換とレクリエーション利用導入の施設整備がこれらの事業の要点と言えた。
 森林公園は昭和40年代が創始期であり、50年代が拡大期となった。60年代から平成初期から漸増期といえるのであろう。森林公園は近年に建設されることがなくなっているので、減少期がどこからか生じているのであろう。森林公園建設の必要が失われた原因は何だったのであろうか?

野幌森林公園
 札幌郊外の野幌森林公園は北海道百年記念事業として創設され、昭和42年に東大名誉教授、加藤誠平による森林公園基本計画が作られている。開園当初に立ち寄ったことがあるが、昨年の秋に林内を散策した。30数年を経て、札幌市街が森林公園に隣接するまで拡大し、大勢の人々が利用している様を目の当たりにした。野幌森林公園の設立は先見の明があったと言えるのであろう。
昨年の9月の公園内には、利用者が多く、遊歩道を歩いてしばらくする内にすれ違う人々に出会った。また、沢沿いの湿地の林内は蚊が多く何箇所も刺されてしまった。森林は原生林に近いものとされ、数種の広葉樹の巨木が混生して散在し、林間が透けて見える遊歩道の魅力となっていた。禁伐で維持されているのか、林床が手入れされているのかは不明だったが、深い森というよりは、明るい森の印象であった。
 森林の僅かな経験から何かを論じることはできないが、森林公園の計画を見ていて、計画当初の森林が開拓の影響で相当切り開かれていたようであり、また、原生林として禁伐するとはされておらず、林業的な森林施業が期待されていたと判断されるものである。林内を歩いた想像であるが、管理は道沿いは行われていても林内まで及ばず、禁伐とされてきたのではないかと思われる。
 しかし、北海道の開拓以前の奥深い森林までは想像しがたい状態であり、人為の影響から森林が回復するためには、巨木の成長を促し、更新樹が生育するための森林施業が必要だったのではないかと思われる。開拓跡地の植林と思われる場所ではボランティアによる間伐実行の標識が見られた。森林公園の森林が今後、どのように生育し、長く持続するのか、確証は感じられなかった。