里山の成立と解体

はじめに
 里山は新たな造語であったかも知れないが、戦後の復興期までは農用林、農家林などの経営、育成などが一つの林業の課題であった。民有林の中でも大きな比重を占める個人有林は、農家の所有であり、肥料採取の場で農業に役立ち、生活に不可欠な燃料などの資材を提供する場として農村に不可欠な役割を果たしてきた。
 しかし、戦後から高度経済成長とともに化学肥料、機械での耕作、石油燃料の導入、農村の生活改善、離農、兼業化、人口流出などが、共有林や農家林の利用を急速に衰退させた。林業利用に転換させることを狙った政策が、拡大造林であった。しかし、高度経済成長とともに、外材の輸入が増大し、林業が衰退し、拡大造林による植林地も放置されるようになった。放置された広大な民有林を総称した言葉が、里山であった。
 
里山のイメージ
 里山の定義は難しいのは、民有林とも言えず、薪炭林とも言えず、農用林とも言えない状態の山地を里山としているからである。里山のイメージは農村部の山地で、多様に利用されていた以前の状態と放置された山地の現状との間をさまよっている。
 多様に利用された里山は、農家や農村の農業生産、農村生活と結びついたものであった。里山に対して奥山という言葉がクローズアップされるが、奥山は農村生活が及ばない奥地の山であるから、里山以前に存在していた言葉であるといえる。
 農村生活の場であった里山は、燃料採取、家畜飼料採取、肥料採取、木材採取の場であり、食料などを含め、様々な生活資材の採取の場であった点で、多様な様相を呈していたといえる。燃料採取、特に炭焼きのための森林は、薪炭林と呼ばれ、林業用語では低林と呼ばれるものとなって、ナラ類広葉樹の萌芽更新の森林が思い浮かぶだろう。

付加された里山イメージ
 農村部が都市化され、都市住民が近郊の農村部に接触するようになると、里山は散歩やハイキングに利用されるようになる。薪炭林は雑木林として楽しまれ、「武蔵野」が思い出深いものとなる。故郷とつながり、ウサギ追いし山地が目に浮かぶ。農村の生活利用の山地は、美しい景観として都市住民の環境利用の場となったといえるだろう。
 衰退する農村部の再建のために、農地整備に拡大造林が行われ、農業地域として整備された農村へと変貌していった。里山は植林地が増大し、木材生産に特化した林地が拡大した。

里山イメージの崩壊
 広大な里山は、林業衰退とともに放置された山地へと変貌し、草地がアカマツ林へ、薪炭林は広葉樹の高木林へ、植林された針葉樹は高木の人工林へと成長し、利用されないまま、人々の生活からも遊離した状態となってきた。親しみ深い里山のイメージから奥山と化した里山が、そのイメージを崩壊させている。