松本の里山再生

はじめに
 松本は不思議な町である。松本城を中心に市街地と住宅地が広がり、市街を囲む里山を持つ農村部へとつながっている。農村部へは住宅が混在しており、里山はさらに広大な山地へと連なっているので、自然と農村、都市が一体となっている地域と言える。
 そんな松本でも里山の利用価値が減少して、放置され、背後の山地の自然地域との隔絶が生じているといえるのか、自然が市街の間近に迫ってきているといえるのかの状態になっているように感じる。農村部の住民は里山には所有地があり、利用価値は減少しても、地域の環境として手入れを怠るのは、恥ずかしいと感じているようである。
 市民の誰でもが市街からの眺望に周囲の山地が目に入り、時にハイキングの楽しみに里山を歩いている。しかし、高く伸びた樹木が密生して林内を暗くし、山地からの眺望を妨げている。歩く山道も限られているのかもしれない。

ある集落の里山
 松本では美ヶ原県民の森、千鹿頭森林公園、アルプス公園の拡張計画で、森林計画に関与したが、計画段階だけで、森林育成を持続して行っていない。間伐の選木まで行ったのは千鹿頭森林公園だけである。知人に紹介してもらって、利用しながら森林育成のできる山林の使用ができないかを、一昨年から聞いてもらった。しかし、放置された里山でも土地の使用は、所有者によってややこしくなってしまった。昨年末に別の知人にお願いしたところ、近傍の集落の里山がきれいになるならと、使用しても良いことになった。
 その山林は、地区住民が利用するために整備して、手入れしてきた場所だったが、忙しい住民には手入れが滞りがちになっていた。地区の集会に参加して、知人から紹介されて、利用、手入れの趣旨を説明した。中世の山城跡でもあり、眺めの良い場所で、地区の住民の自慢の場所でもあった。
 山林は何人もの所有者がいるが、所有者は地区で利用する場所として、共同管理することに合意している。そこに、研究所として参入することになる。
 尾根の城跡のある場所にはアカマツ林が占め、西の山腹はニセアカシアの伐採跡地、広葉樹林、カラマツ林となり、東斜面はクヌギ林、ヒノキ林、アカマツを伐採した広葉樹林となっている。尾根を下る北側の山麓にはヒノキの木立のある神社となっており、南の尾根の鞍部まで車道が通じて、道路際の広場には駐車ができる。鞍部を越えて谷に下るが、底の浅い谷は水田が開かれ、数戸の集落となっている。
 尾根の道が遊歩道として利用され、西側に北アルプスの山並みが手前の低山ごしに眺める事ができる。遊歩道沿いの整理が地区住民全員で年に1回行われている。明るい遊歩道は住民の管理の賜物だろう。しかし、住民以外には知られていないようで、ハイキングの利用は少ないようである。

里山の利用と育成
 里山は山であって、森林ではないという意見を集会で述べる人がいた。山には木が生え、森となるが、森が無ければ山である。山には森となっている所と森とは言えない伐採跡地もあり、草地とされている所もある。山と森は同じものではなく、森は利用することによって森ではなくなることあるのだ。以前の里山は、森林の生育以上に利用され、疎らな樹林と灌木に草地、裸地などの禿げ山であったかもしれない。ずっと、森林であるのは神社の境内林ぐらいであったかもしれない。
 これまで住民の共同管理では、ニセアカシア林を草地に変え、伐採地にサクラの植樹を行うなどで、森林とは考えられなかったのかもしれない。放棄畑が樹林となってしまい、その樹林を切り払うことを考えているようなのである。カラマツ林は植林したものの大きくなりすぎて、尾根からの眺望を妨げ、除去したいのだが、どうにもならなくて困っているようなのである。

里山の環境利用と生産的利用の関係
 里山が生産的利用がなされず、放置され、放置された里山を環境利用のために整備し、管理しようとする。しかし、生産的利用は過剰でない限り、環境の管理にも役立っていたのである。森林が維持されることによって、草地管理は林床となり、労働が軽減される。放置された草地は薮となって人の入れない山となる。できるだけ、少ない労力で管理するために、森林を維持し、管理によって生じる資材を利用すれば、経費の補完ができる。環境管理のために、生産的利用を再現することが必要となる。
 里山には戦後、植林が行われ、生産的利用は燃料の利用から木材の利用へと転換した。しかし、木材が収穫できるまで長期間を要し、その間に林業の不振に見舞われ、放置されることになった。また、山菜、キノコなど食料、草花や薬草などの生活利用、また、さまざまな農業資材などの採取も、安価な商品流通と農業からの転職によって、衰退して行った。こうした以前の利用の再現ができれば、成熟した森林は有用なものとなってくる。これを現代生活に即して、現世代の必要に応えるように実現することが必要である。