長野県の都市公園の必要

はじめに
 都市公園はニューヨークのセントラルパークの建設を端緒としてオルムステッドによって作られ、オルムステッドは公園系統にまでその公園概念を広げた。庭園やパークに公共への解放によって公園が成立したヨーロッパの都市の成立過程からは、公園が近代都市に都市住民の必要に呼応した性格を読み取る事ができる。
 日本の都市公園も明治になり、欧米の都市を範として作り出され、近代化の進展とともに、都市の生活施設として不可欠のものとなった。しかし、都市計画は都市住民の生活環境を全面にわたって、保障するものではなく、部分的な公共サーピスとして行政の一環で成立している。一方、市民要求としての公園獲得もありえないわけではない。
 高密な人口の都市環境では自然環境を残す余地がなくなり、居住環境に共同の空間も見失われる。都市公園は都市住民に必要な生活環境の回復のために都市空間の改善のために生み出されたものであるだろう。
 自然豊かな、地域の共同空間も確保された地方都市や農村に、果たして都市空間は必要なのだろうか?長野県の都市計画審議会でも長野県で都市公園は必要なのかという疑問を発言する委員がいたことを覚えているが、その回答はその時、思いつかなかった。