造園論2

そもそも
 人間は動物であり、猿類の一種であり、アフリカのチンパンジーに先祖を共通する原人を先祖としていると推定されるようになった。この仮説はもう一般的知識となっている。人間が動物と違う所は、知能を持ち、自然界に無い人工物を生み出し、環境を改変し人間に適した環境を作り出すものであること、聖書における知恵の実となるリンゴを神苑から蛇の誘いにのって食べてしまった逸話にも示されている。しかし、動物が自然環境に適応して生存しているのと同じように、人間が[作り出した環境に適応して、そのために知能を使って生活している。
 私の小さな頃、誰もが子供は家族によってつくられ、その環境に適応して生活し、周囲の環境に疑問を抱くようになり、知能を疑問の解明に使って、子供ながらの環境創造を試みようとする。砂場遊びが児童公園に取り入れられたのも、子供の成長への配慮から生じたことも言われている。私はそんな公園のあるような都市には生まれなかったので、砂場は海岸の砂浜であり、海岸は近くには無かったので、舗装も無い土の道、畑、附近の山地の裸地であった。
 物心つく以前の幼児の頃は、周囲の環境を無意識の内に受け入れ、何か覚えていることを語ることはできない、3歳になって、防空壕に逃げ込んだこと、警報のなる不安な夜を覚えている。終戦後、食糧難で社宅の敷地が畑となり、祖母が耕し、祖父は花を育て、祖父の花を神仏への供花に祖母がつんでしまうので祖父が嘆いていたことを覚えている。祖母は明治生まれで、教育も受けていないが、小さな頃から、畑仕事を手伝い、戦後の食糧難には家族が助けられて、子供達も祖母に畑仕事を教えられ、ご飯を食べる前には、お百姓の労苦に感謝の手を合わせることが習慣になっていた。毎朝は祖母とともに日の出に手を合わせ、夏の雷雲に喜びを感じたが、何故、日がのぼり、雲が空を漂うのかの疑問も抱いたのである。
 自然に生育する植物の環境、植物の環境で生存する動物、その動物には環境に適応する知能が備わっており、環境を知覚する感覚機能に優れている。これら生命自体が環境との交流の中にある。人間だけが知能があり、環境に適応して生きているのではなく、ただ、人間は知覚経験を象徴した言語を使用することによって、相互に連絡し、連携を強めるだけでなく、経験を言葉として蓄積するでき、その蓄積によって、技術を発展させ、環境を改変する力を増大させることができた。しかし、これによって失われる自然環境が拡大し、人間の生存環境を確保できない事態も生じることになった。
 都市に居住する人間は人工環境に囲まれ、自然環境に欠乏する。知能ある人間が広大な自然環境の意識を欠いたために、動物して生存する環境を欠乏するという危機に瀕することになった。なんと言う自己矛盾だったのだろう。造園は林業とともに、自然環境や森林を回復させる必要によって生じたのではないだろうか?子供の環境への感覚はこれを教えてくれるはずである。

近代生活のための造園