生活の背景となる風景

はじめに
 モナ・リザはあまりにも現代的に感じられる。なぜか?それは人物の内面が背景となる風景と一体化しているからではないだろうか?レオナルド・ダ・ヴィンチは、ルネッサンスに出現した風景画の源流だと言われている。マリアの背景に描かれた岩山の風景、それは、晩年まで手がけたモナ・リザに至って背景が人物の不思議な笑みとともに融合している。モナ・リザレオナルド・ダ・ヴィンチ自身だという話もあるようであり、その笑みは解けない謎なのだろう。現代に限らず、人間の内面は重要である。しかし、内面が行動となって、外界に適合することによって、その真価が明らかなものとなる。意識によって生みだされた庭園、自然の一部、岩などを寄りかかる場所として選択する意識、こうした内面と外界の相互関係が外界に内面が適合したものと感じさせる。しかし、壮大な自然の風景に人間の内面が一致するように感じられるのは、壮大な内面を持った人物に限られるのだろう。
 個人の内面となる意識は、近代的個人の大きな課題であった。中世の神に仕える人間は、自由なる個人の否定であり、同時に、自然の軽視であった。中世から近代への転機としてのルネッサンス期は自由な個人の肯定と自然への自由な接近が生じ、絵画には個人の肖像画が生まれ、外界は風景に描かれるものとなった。
 ミケランジェロは都市風景そのもをデザインし、それを芸術として示そうとしたのではないだろうか?それは、都市民の生活自体が芸術であり、理想であることを願っていたたmではないだろうか。ミケランジェロがデザインしたと言われるカンペドリア広場、ミケランジェロが兵士となって守ろうとしたフィレンツェはその証左ではないだろうか?遥かな遠景を外界としたレオナルド・ダ・ヴィンチに対立した点がそこにあったのではないだろうか。

生活と背景
 生活の背景は環境である。局所的な行動の場から、広大な行動圏にまで、環境の場と広がりがあり、これらの環境が背景となって、生活が営まれる。