風景との関係

何をどう考える
 自分の職業何であったのか?自問自答とともに、これから何をしたらのよいのかを心がけたい。まだ、周囲に話しかける人がいる間に人に役立つことをしておきたい。
 こうした自問自答は、自閉症の現れで、何を語ることも、自分の言葉に抽象化した言語で語ると理解は得られない。老いて鮮明な言葉が失われると主観的世界を超えることができない。ここで、自分、抽象化、主観という言葉自体が自分の世界そのものを示している。何をどのように語るか自体に他人、具体的、客観という言葉との対立がある。共通した経験、現実そのもの、社会性がこの対立の架け橋となるのだろう。
 今、私は松本市に住んでいる。これまで、住んだことのある新居浜市、西宮市、札幌市、京都市伊那市のなかで、最も美しい都市である。何が美しいのか?住んでいる高台から空気、山と森、農地、家並み、市街、松本城を上げることができる。
 美しい環境を成立させている要因は、住民生活と都市の公共活動、生産活動の結果であるが、個々の市民生活は、周囲の人々との交流によって平穏に持続するからであり、自分自身が日々の恩恵としてこれを実感している。
 この恩恵に何が返礼できるのかが問題である。職として、10年前までは、地元大学に勤めていたが、今は法人研究所の責任者となり、年金生活者でもある。私個人と法人の設立目的は共通の問題でもあるが、少し分けて考えてみよう。