今田森林美学講義録解題

 

 今田森林美学は講義に終始しており,著書として公刊されたものはない。これまで,森林美学に関して,歴史と批判の著者として著名ではあるが,ザーリッシュ森林美学の全体像をどのように考えていたかは明らかではなかった。小生も卒業論文の指導を受けていながら今田先生の造園あるいはランドスケープに関する考えを十分に知っているとは言えなかった。2018年,ザーリッシュ森林美学英訳本の翻訳に関係し,今田先生の講義を思い起こし,ザーリッシュからの継承と展開点を明らかにしたいと考えた。

 ザーリッシュの森林美学は基礎編と応用編に分かれており,基礎編ではランドスケープの美学に基づいて,森林美学を位置づけている。ピクチャーレスクの美とその科学的理解を目指したギルピンの考え,ピュクラー・ムスカウの風景式庭園の実践を評価し,技術を芸術に高めるゲーテの考えを尊重し,林業に展開する応用編を展開している。今田先生の歴史と批判の論文は,林業,林学分野を中心に,森林管理の功利と美の関係を中心としており,ザーリッシュ森林美学の応用編を取り上げている。しかし,ザーリッシュの著書は森林美学の歴史を中心にするものではなく,林業技術・林業経営における実際的な美学の可能性を明らかにするものといえる。歴史と批判は,基礎編の美学解説を棚上げにした議論といえる。

 以上に対して,講義録はザーリッシュ森林美学の基礎編を中心に置き,日本では,志賀重昂の日本風景論,イギリスではラスキンの近代画家論などを参考として継承している。また,三好学などの植物学及び生態学の知見を取り入れ,ザーリッシュの基礎編を補強している。私事になるが,卒業論文の指導を受けた過程で,アメリカのハバード・キンボルのAn introduction to the study of landscape design  1917を参考書に提示され,一部,訳していたので,講義録と対比して見ると,An introductionは森林美学がランドスケープ・デザインに一体化した点が講義録に一致している。伊藤太一氏によれば,オルムステッドに始まる近代ランドスケープが地域計画の土台を持ち,これにピュクラー・ムスカウの風景式庭園の実践が影響していることを示唆している。ハバード・キンボルの著書はランドスケープの教科書として最初のものである。この影響のもとで今田講義録には近代ランドスケープの考えが導入されている可能性がある。また,アメリカのランドスケープはウィルダネス体験を通じて原始的な自然環境に結合している点も指摘されており,講義録も自然公園を最終部分としており,自然風景が至上のものであることを示唆している。

 

今田森林美学講義録目次(下線はザーリッシュとの共通項)

Forestaesthetik und Landshaftliche Baukunde

1 Einleitung(総論)

2 Naturshoene自然美

3 Naturgefuehl 自然感情

4 Der Aesthetische Wert der Horzarten樹木の美的価値

5 Der Aesthetische Wert der Horzarten樹木の美的価値(続き)

6 樹木の集団・配植

   公園と林業Park und Forestwirtscaft

   森林美の育成 Waldschoenheltspflege

   国有林の風景施設

7 Gruenflaeche 緑地

8 Gruenfflaeche 緑地(続き1)

9 Gruenfflaeche 緑地(続き2)

10 Gruenfflaeche 緑地(続き3)

11 自然公園

12 街路樹

 

ザーリッシュ森林美学第1部森林美学の基礎理念    目次

セクションA 序章

  • 森林美学の用語と役割              1
  • 美の歓喜の原因                 3

セクションB 自然の美                2

  • 自然美と芸術美の関係に関する基本的見解
  • ランドスケープにおける色彩の理論
  • 森林の装飾としての石
  • 樹種の美的価値                 4
  • 森の芳香と声

第Ⅰ部 まとめ

今田先生「森林美学」講義録第4回

今田先生講義録1964 北海道大学農学部林学科

11月4日

 

Der Aesthetische Wert der Horzarten樹木の美的価値

 

 森林の風致的効果は樹種が異なり,また,それぞれの樹木も単木を成す場合と森林を成す場合,また,集団の大きさによっても,それぞれ特殊なものを持っている。ある決まった樹種,例えばマツとかサクラとかをとくに風致的に優れたものと考え易いが,全ての樹種が場所を換えれば,風致的であることを忘れてはならない。特殊な樹種,いわゆる風致木だけを考えることは,ことに自然公園のように自然の風致に重きを置く場合は避けなくてはならない。自然風景ではあどの樹種もその郷土において最も自然であり,・・・風土に適せず,健全な生育を行わない場合は自然では美しいと感じられない。それゆえ,Felberの言っているように美観の点からも立地の適合を主張するものは少なくない。また,与えられた自然の条件に適合する樹種はただ一つに限られてないからそこに風致的により望ましい樹種を選択する可能性がある。しかし,また健全に育つことができれば,必ずしも郷土木に限らず,美しい景観が得られる。郷土以外の樹種,とくに外国樹の風致的効果については様々な説がある。これらの木は自然風景として適当でない場合が少なくない。そこで,Von Salischや恒続林論者の中には外国樹を風致上退けている。また,珍しいことと美しいことは別である。しかしまた,珍しいため注意をひくから,風致的に特殊な扱い方があるのも確かである。人工的な園芸品種についても同じことが考えられる。

 

樹木に外観 樹形は遠くから見ると特徴のある形をしている。ポプラは円筒形,モミ,トウヒは円錐形に近く,その他,傘型,楕円形,卵型のmぽのも少なくない。また,マツのようにバランスのある不規則な形を」しているものがある。このような形を見せるのが樹木の外観outlineで樹木美の一要素である。また,この外観にはリズム感を伴っている。針葉樹は一般に上に向くリズムがある。とくにモミ,トウヒに強く現れている。これに対して広葉樹は下向きのリズム感がある。樹木の外観は刈り込みを行い,人工的な形を作ることがある。これらは都市公園や個人の庭などでは似合うが,自然風景の中では不自然になる。それから,形の整っている樹木は左右対称の傾向を持ち,不整形のものは自然的にバランスがとれている。但し,整形の木も老齢になると不整形になりやすいが,最後までほとんど形を崩さないものは壮大さや威厳の感じがある。開放地の木は枝下が低く,膨らみがあってボリュームがある。密林の中の木は樹冠の位置が高く,枝張りが少なく軽快になる。

枝ぶり  多くの針葉樹のように幹が直立している木も枝は曲線になることがあり,」樹種により特有な形を示す。例えばモミ,トウヒは下枝が緩やかな曲線を描き,上に行くに従って上に伸びる直線になり,それが美観になる。

分枝の角度 木により異なり,ポプラのように狭いものからカシワのように直角に近いmonogある。また,枝の付き方も疎なものから密なもの,細いものから太いものがあり,それぞれ違った美しさを持っている。

 針葉樹のような直幹は沢山集まると繰り返しの壮観である。広葉樹のように枝で分枝して伸張するものは複雑さの中にバランスが感じられるる。根元から多数の幹を分枝するものは優美さがある。自然風景でも人工の庭でも美観を添える。例えば,武者立ち,扇立ち

樹冠 木のよって粗密があり,密なものは緑の塊をなし,そこからボリュウムを感じる。常緑広葉樹のクローネ(樹冠)はこういうものが多く,重々しい。疎なものはクローネの中に空隙が多く,軽快である。温帯北部の広葉樹は小枝の多少と葉の疎密に関係している。小枝の多いものは落葉してから,レースのような小枝の編み物の美観が見られる。

樹皮と根張り 樹皮が薄く,滑らかなものは優しい感じがあるが,厚くて亀裂のあるものは荒々しい感じがある。亀裂は樹種で相違し,あるものは縦に長く,あるものは鱗片状である。幼齢樹の滑らかなものは老齢になると荒々しくなる。

樹木の根元 が座っているものは安定感がある。若い木は根張りが少なくても不安を伴わないが,老大木は十分に根張りがある方が不安を伴わない。土壌が流亡して根上がりになったものは荒らしく硬い感じがする。

 

今田先生「森林美学」講義第3回

今田先生講義録1964 北海道大学農学部林学科

10月28日

 

Naturgefuehl 自然感情

 

 我々が自然から受ける感情をNaturgefuehl 自然感情という。これは時代によって変化してきている。古代の人類は自然から美観を受けるよりも,宗教的な感情を持って自然を崇拝した。樹木もまた崇拝され,樹木崇拝があった。原始時代には偉大な樹木が鬱蒼として茂るのを見たり,枝を張って日光を遮り,風雪を凌ぎ,しかも人命の短いのに比べ,著しく長命なのを知って,樹木崇拝の念が起こるのは当然である。

 古代Arya族の思想には樹木崇拝の観念が見られる。そのゲルマニア人は北ドイツの森林の影響を受け,Yggrasilの神話を有している。これはトネリコの樹で上は天界に繁茂し,下は地の底にまで広がり,神々がこの下に集まるという神話である。このゲルマニア人は巨大なカシワまた大森林を崇拝し,原生林は聖地と考えていた。森林の中に神殿を設けた。また,北欧スカンジナヴィアの神話にはOdin天地創造の後に,3人の弟とともに散歩していると,トネリコとニレの大木を見た。そしてトネリコを人間の男にし,ニレを女にした。そぢて,第一の弟から生命と魂を分かち与えた。第二の弟から才能と運動感覚を,第三の弟から顔形と言葉,視覚と聴覚を分かち与え,それぞれの神が衣服を与えた。男にAsk ,女にEmbelという名前を与えた。ここにも樹木がでてくる。

 古代ギリシャの天然崇拝は森林が命を持って生活を営むと考え,進んでは水の精としてNimpheを想像するに至って,森林の精としてDryadesを想像した。また,アテネの神を守るかんらんの樹,アポロを守るヤシと月桂樹を神聖な樹とし,またカシワにはゼウスが宿ると考えた。

 古代ローマ人は樹の霊をDianaと言い,森林を司る神をSilvanusと呼んだ。紀元1世紀になるとローマ人は原始時代の自然崇拝を捨て,自然に目覚めてきた。自然そのものを崇拝するのではなく,自然を通して神の技を賛美するようになり,自然美がわかるようになった。このような傾向は紀元4世紀頃まで次第に進歩している。詩の中にも森林が現われてきた。ところで5世紀の終わりから15世紀の終わりまでが,中世であるが,紀元1世紀頃から次第に盛んとなったキリスト教は信仰を離れて自然美を楽しむことを罪悪と教えた。このような考え方はますます強くなり,6世紀頃のキリスト教徒は自然を楽しむことは神をないがしろにする罪悪的な快楽で,悪魔の誘惑と教えた。8世紀にはその極に達し,自然美が分からなくなり,その結果,自然は恐ろしいものと考え,中世には森林は龍の住むところと考えられた。このような5世紀から11世紀の終わりまでのヨーロッパは混乱を極めて,中世史に言う暗黒時代であった。また,中世の各都市は皆,城壁で囲まれ,外界との交通が遮断されていた。たとえ自然に憧れても自然の中に止まることが許されず,市民は年に時期を定めて城外に出て自然に接することが許されるが,夕方にはまた城内に帰らなくてはならなかった。

 ルネッサンスの新しい傾向が1011世紀には現れてきている。当時,教会に改革運動が起こり,僧院がしばしば美しい森林の中に設けられた。このように森の隠者たちは森林から美しさと慰めを体験した。13世紀以来,自然を愛する傾向がだんだん盛んになってきた。その先覚者は例えば,PetrarchaあるいはDanteあるいはSt. Francisであった。また,美術の面にDuccio, Giotteなどが現れている。Petrarchaは田園を愛し,また森林の静けさを愛して,ただ一人森林の中をさまようことを好んだ。彼はそれまでのキリスト教の心情を破って率直に自然を見つめた。このような気運が盛んになり,15世紀に法王Pius2世自身が教会が自然美を罪悪視する習慣を破って,自然美を愛する人間の心はキリスト教に反するものではないとして,自身をSilvarum amator森の友というようになった。

 18世紀になって,自然は人間生活と密接な関係を持ち始めた。この時代に自然科学が起こり,同時に自然がわれわれの精神生活に関係を持つようになってきた。その著しい例がフランスのJ. J. Rouseau,ドイツのSchillerGoetheなどであり,また,イギリスではThomsonYoungGold Smithなどである。とくにルソーは自然を初めて正しく見た人で,」彼によって自然は人間にとって親しむべきものとなった。彼によって自然は恐れを与えて不可解なものであったりせず,人間に美しさ,慰め,力を与えてくれるものとなった。彼の言葉によれば,平野は平等を,海は無限な活動を,山岳は永遠,森林は自由存すと言っている。この18世紀から,われわれは自然感情を受け継いでいる。 

 20世紀に入ると,世の中が進んだため,自然がだんだん失われてゆき,その失われゆく自然を保護しようとする傾向が現れている。すなわち,自然保護Natureschutzの精神が非常に高まっている。これには様々な面がある。自然美を保護するのも一つの面であり,国立公園などの自然公園も根本的には自然保護の精神であり,名勝天然記念物の保護もこれである。自然美を扱うにあたっては自然を尊ぶ考えが非常に大切である。

 

今田先生『森林美学』講義第2回

 今田先生『森林美学』講義録1964 北海道大学農学部林学科

10月21日(水曜)

 

Naturshoene

自然美

 われわれは毎日多くの美しいものに触れている。ところでShoeneheit美 の」領域は様々な角度から分類することができるが,その中に芸術美に対する自然美というものがあるという考えが広く行われている。美学上,芸術美に対して自然美というとき,人間や社会,歴史などを含めて,」人生に体験する美しさも自然美のなかに含まれる。しかし,ここでは自然美の中で特に重要な風景美Landshaftsshoenheitを考える。風景美について昔から哲学者を始め,色々な人が取り扱っている。その中で自然美論がある。例えば,Vischer, Halier, Ruskin,英国のAveburyが特に有名で,近くはThoeneなどがいる。ところでそれらの人たちは自然美を4つの要素に分解している。Himmel(空),Erdboden(大地),Wassel(水),Pflanzen und Tierleben(植物・動物),志賀重昂明治19年卒)日本風景論(明治19年

 空の美しさというのは光と空気に満たされ,高く大地と海の上に広がる空で,雲を浮かべたり,晴れたり,曇ったりする美しさで,そこには日や月や星の美しさも含めて考える。万物は太陽の光のもとで色彩を表し,明暗を生じ,美しさを発揮する。また四季の変化,朝夕の変化など太陽は風景美を支配する。夜に現れる月の光は弱いけれども,情緒的である。また,星夜の美観もある。

 土地,大地の美しさは,われわれが立ってうぃる土地の美しさである。山岳や渓谷,丘の美しさ,野の美しさまたは岩石の,砂の美しさ,土の美しさも挙げられる。それから火山現象や新色に含まれる美しさもある。

 水の美しさ,雨となり,雲となり,露となる水,湖沼,川,海としての美しさである。東洋では風景のことを山水といって山と水を風景の代表的要素と考えられている。水は元来,静止的であるが風のために波となり,河川では流れ,滝となって動的美を発揮する。

 植物は風景の大切な要素となることはいうまでもない。この中には当然森林美が含まれる。木は孤立木としても集まった大森林としての美しさもある。それから,鮮やかな新緑,燃えるような紅葉,落葉した姿にもそれぞれ美しさがある。また,木の種類によってもそれぞれ美しさがある。草本類の中には花の美しいものがある。蘚苔類も独特な美しさがある。

 動物はそれ自体が美しいものが多く,それが飛んだり,走ったりして動的な美が顕れる。また,聴覚の美で, 鳥・虫に声を添えてくれるものが少なくない。これらが総合して美を生じる。

 

ランドシャフトの色彩美 Farbensshoeneheit der Landshaft

 風景を彩る基本的な色は緑である。常緑広葉樹の多い地帯は濃い緑,落葉広葉樹の多い地帯は明るい緑,針葉樹の発達している寒冷地は暗い緑が支配する。これらの樹の緑に比べると,草の色は」明るい。花の色がこの場合に加わって色彩を豊かにしている。春は黄色や白い花が多く,春から夏にかけては赤や紫が多くなる。秋には又黄や白が現れる。暖かい地方では赤や紫が多くなる。高山の花は色彩が特に鮮やかで,お花畑に現れる。高い緯度の花は高山に匹敵する美しさを見せてくれる。

 落葉広葉樹の地方は季節変化に恵まれている。この大きな変化が魅力となる。熱帯にはラテライト,紅土が発達し,寒冷地ではpodsolで白っぽくなる。また,花崗岩地帯の岩肌は紫紅色の陰が生じる。ところで,風景の色彩の中には光輝を伴うようなことが特徴となっている。例えば朝焼け,夕焼け,虹の色は光っている。水の色も輝きを持っているのが当然である。ゲーテの南の国への憧れは輝く色彩への憧れである。赤道の紺碧の海は光が溶けて流れているように見える。北国では雪が,青や緑,バラ色,真珠のような光を帯びて輝く美しさがある。水の美しさは輝く色彩となって美しさが高められる。ヨーロッパの湖は高山にあっては概して青く,石灰岩地帯では青緑色,安山岩地帯では褐色を帯びた濃緑色であると言われている。北海道の湖も摩周湖支笏湖のように青いのが,特徴である。

 氷河に包まれた山岳も輝く色彩である。氷河は半透明の乳白色である。雲の色も多分に輝きを持った色彩である。例えば天空高く上がる巻層雲,高積雲,積雲などいずれも明るい青空に浮かぶとき輝きを」持っている。火山の煙も雲に似た性質を持っている。また,風景の中には自ら輝きを出すものがある。太陽,月,星などである。

 

ランドシャフトの形態美 Gestaltenschoenheit der Landschaft

視野の傾き

 視野の中の風景がある傾きを持っていると,風景が形の上で美しくなる。それは平らな土地が」眼に映ずる景色は近くのものであるが,傾きがあると色々のものが見える。高いところから見下ろし,見上げる風景も眼に映る風景は複雑となる。例えば山岳は多く満足を受けるがそれは眼に映る形の変化が多く,それが満足となる。

動き Bevegung

 風畏敬に動きがあると形の上で変化が現れ,美しく感じる。風に揺らぐ葉,風に揺らぐ麦畑,水の流れ,波,浮動する雲,飛び立つ鳥,など形のうえの変化が現れる。もう一つ,風景を見る人が風景の中を移動することも見る位置が変わり,角度が変わり,新しい風景が現れて,美しく感じる。あまり,早すぎないほうが良い。

視野の中に限界があること

 風景はある限界があると視野にまとまりでき,風景が掴みやすくなって美しさを感じる。例えば,樹に囲まれている美しさ,林間の草地,並木に挟まれた街路,樹木越しに見る風景などでは,目の前の樹木が額縁のようになり,視野が限定される。渓谷が美しいのは左右に崖があり,視野が限られている。同じ理屈から庭園には垣根が必要であり,絵画には額縁がいる。

 

今田先生『森林美学』講義第1 回

今田敬一先生「森林美学」講義録1963-1964 北海道大学農学部林学科  

 

私が21歳であった時,今田敬一先生の「森林美学」講義を書き留めたものである。

今田先生講義録1964 北海道大学農学部林学科

 

10月14日(水曜)

Forestaesthetik und Landshaftliche Baukunde

Einleitung(総論)

 森林美学はForestaesthetikの直訳である(本多静六)Forestは森林,Aesthetikは美学という意味である。但し,Forestaesthetikを日本語に訳し,森林美学といっても原語の意味とは一致しない。Forestは施業林を」意味する,その訳は施業林美学となる。これがForestaesthetikの歴史的内容である。言い換えるとドイツで施業林の美学として発達した。しかし,現代の解釈では必ずしも施業林に限ることはなく,原生林,公園林などを対象にしても差し支えない。したがって,Forestaesthetikというよりは,Waldtaesthetikと言っても差し支えない位である。なお,Forestaesthetik(Wappes)というかわりに,Waldshoenheitsulehre(Wimmernauer)といった別の名も与えられている。

 ところで,森林を取り扱う上で風致を考えることは昔から存在した。例えば,ギリシャ,ローマ,中世期にも見ることができるが,18世紀になって顕著になった。その頃の林業関係の著書の中に森林の風景に対する記事が散見するようになった。19世紀前半にその傾向はますますはっきりしてくる。19世紀の林学の建設者たち,G.L.Hartig, v.Cotta, Koenig, K.Heyerなど,いずれも森林の風致のことを考えている。殊にK.Heyerはその著書のなかに森林美育成に関する1章を設けている。また,Koenigの後にBurchhardtがKoenigの考えを押し進めている。その後,プレスレル,ユーダイッヒ,ノイマイステルといった人たちも森林の風致を取り扱っている。その後,Heinrich von Salischが出てForestaesthetikの著書を著し,森林美学に一つの科学としての体制ができた。科学としての森林美学は応用美学に属する。但し,その発達の歴史からは林学の一分科と考えられ,初めは造林学,森林保護学の一分科であった。また,森林の基礎学に数えられることもあり,林学の総論のなかに入れられた。一方,造園学の方では森林美学はその一分野と」考えられている。いずれにしても生活がだんだん自然から離れ,その反動で自然に還ろうといったことから発展した。現在では自然保護の精神が強調されている為,森林の風致を考えて経営することが要求されている。そこにわれわれ林業家の義務があると唱えられている。von Salischは風致を考えることは次のような利益があるとしている。

⒈風致を考えることは経済的な林業を指導する。

林業に携わる者に仕事に対する満足感を与える。

⒊民衆が森林を愛護する。

⒋森林の美しさは民衆を定住させる。

 

森林の衛生的効果

森林の空気  酸素,オゾンに富むと言われるが,それより大事なことは枝や葉が空気を濾過してチリ,細菌を遮ることが衛生的である。

森林の土壌  酸性である為,有害バクテリアを生息させない。その意味で森林から出てくる水は純粋である。

森林の防風作用  壁のように遮らず,緩やかに遮る。爽やかな風となり,それが衛生的である。

心理的効果  緑の色彩の印象が心に安らぎを与える。森林の香りは薬理的効果の他に心理的効果がある。

ランドスケープと造園  

 造園の始まりは庭園にあるとされる。  庭園はニワとソノが合成されており,そのどちらも古代になって生じた空間である。すなわち土地の占有が生じて,周囲を囲んだ私的空間であり,ソノは園芸の場とされ,ニワは仕事や儀式の場となる空間である。

 古代社会は農業を土台として成立し,支配者を中心とする専制国家であり,被支配者となる奴隷労働が社会基盤となる。土地の私的占有は支配者層たる王と貴族の特権であった。支配者層と被支配者層はの関係は,どちらも原始共同体社会を起源とし,征服氏族と被征服氏族の関係から成立している。原始共同体社会は人類の普遍的な社会形態であり,共同体の生存の領域を共有し,集合した居住空間には共同のヒロバが中心に存在した。古代社会では専制国家の中心となる都市と宮殿が成立し,宮殿に付随する「庭」で専制国家の政治と祈願の行事が行われた。被支配者の被支配氏族は解体されながらも共同体を持続させ,そこにはヒロバ空間を持続させた。

 中世社会は専制国家の体制から,封建制社会に移行する。封建制社会は,自立性を持った共同体と分裂した支配体制の階層的な支配構造に移行することによって成立した。支配構造の末端は個々の村落の小領主(騎士・武士)となり,中層の貴族とともに最上層の王・皇帝・将軍が頂点に立った。自立性を強めた職能集団の共同体と商業の活発化は,独立した都市を作り,市民による自治が行われた。村落空間には城主の城が付随し,村落の中心には共同体のヒロバと村民の信仰の場となる寺院・教会が設置された。城郭内に楽しみのための庭園が作られた。

 近世,近代への移行として,商工業の発展によって市民階級の力が増大し,都市が拡大した。封建的な社会を土台とする貴族・騎士階級は衰退し,農民層の解体とともに労働者階級が増大する。こうした変動とともに階層的な社会の専制的な支配者(国王・将軍)によって統合されるが,市民層を中心に市民社会・産業社会,民主主義への移行が促進される。土地の私的占有が強化されながら,公共空間の拡大が進展する。公共の緑地として庭園の転換と公園の出現し,都市拡大,産業の発展のための都市計画,地域計画が必要とされる。私的空間における庭園,都市空間の街路とヒロバ,公園と緑地が系統的に設置される。都市拡大,産業地域開発によって周辺の自然環境,農林業環境は喪失され分断されていく。ここに,ランドスケープが市民共通の生活環境であることが自覚されるものとなる。

 

 造園とランドスケープはどのように関係するのか。造園は庭園,公園を個人,公共の必要から建設することを指している。ランドスケープは景観と訳す限り,個人の目に映る地域の状態である。現代は個人の視点に重心が置かれすぎている。景観あるいは環境を改善するための働きをするためには,共同,公共の視点に立つ必要がある。何が共同,公共に必要なのか?この議論が必要となる。個人の視点とどのように共同,公共の視点が相違するのか。また,その接点はどこにあるのか?

 

 

 

 

 

 

花壇の植栽

 花壇に植栽される植物は園芸種が多く,花々は変化に満ち,高低,花の大小,形,色彩が多様になる。それらを区切り,囲いを作って区画を定めて,全体を構成する。囲いの周囲には園路を巡らし,花々の鑑賞に役立てる。区画の形態は整形式か自由な曲線を生かすかを選択し,園路にはリズム,草花には調和をもたらす配置を意図し,色濃い花壇の散策を想像する。そこには,季節の」進行によって,各季節への連想と現実が交錯することを心がける。

 与えられた材料,収集された材料から,どんな花壇が想像できるだろうか?手につけるまでに,迷って,様々な解決策を想定する。経験に乏しい自分には解決策もなく,材料の一つから,敷地に並べるか,図面に描いてみる。しかし,まだ,何も浮かんでこない。そこで,」材料のリストを作ってみる。

 サフラン,チューリップなど,これらの色彩は?花の時期は?