ランドスケープと造園  

 造園の始まりは庭園にあるとされる。  庭園はニワとソノが合成されており,そのどちらも古代になって生じた空間である。すなわち土地の占有が生じて,周囲を囲んだ私的空間であり,ソノは園芸の場とされ,ニワは仕事や儀式の場となる空間である。

 古代社会は農業を土台として成立し,支配者を中心とする専制国家であり,被支配者となる奴隷労働が社会基盤となる。土地の私的占有は支配者層たる王と貴族の特権であった。支配者層と被支配者層はの関係は,どちらも原始共同体社会を起源とし,征服氏族と被征服氏族の関係から成立している。原始共同体社会は人類の普遍的な社会形態であり,共同体の生存の領域を共有し,集合した居住空間には共同のヒロバが中心に存在した。古代社会では専制国家の中心となる都市と宮殿が成立し,宮殿に付随する「庭」で専制国家の政治と祈願の行事が行われた。被支配者の被支配氏族は解体されながらも共同体を持続させ,そこにはヒロバ空間を持続させた。

 中世社会は専制国家の体制から,封建制社会に移行する。封建制社会は,自立性を持った共同体と分裂した支配体制の階層的な支配構造に移行することによって成立した。支配構造の末端は個々の村落の小領主(騎士・武士)となり,中層の貴族とともに最上層の王・皇帝・将軍が頂点に立った。自立性を強めた職能集団の共同体と商業の活発化は,独立した都市を作り,市民による自治が行われた。村落空間には城主の城が付随し,村落の中心には共同体のヒロバと村民の信仰の場となる寺院・教会が設置された。城郭内に楽しみのための庭園が作られた。

 近世,近代への移行として,商工業の発展によって市民階級の力が増大し,都市が拡大した。封建的な社会を土台とする貴族・騎士階級は衰退し,農民層の解体とともに労働者階級が増大する。こうした変動とともに階層的な社会の専制的な支配者(国王・将軍)によって統合されるが,市民層を中心に市民社会・産業社会,民主主義への移行が促進される。土地の私的占有が強化されながら,公共空間の拡大が進展する。公共の緑地として庭園の転換と公園の出現し,都市拡大,産業の発展のための都市計画,地域計画が必要とされる。私的空間における庭園,都市空間の街路とヒロバ,公園と緑地が系統的に設置される。都市拡大,産業地域開発によって周辺の自然環境,農林業環境は喪失され分断されていく。ここに,ランドスケープが市民共通の生活環境であることが自覚されるものとなる。

 

 造園とランドスケープはどのように関係するのか。造園は庭園,公園を個人,公共の必要から建設することを指している。ランドスケープは景観と訳す限り,個人の目に映る地域の状態である。現代は個人の視点に重心が置かれすぎている。景観あるいは環境を改善するための働きをするためには,共同,公共の視点に立つ必要がある。何が共同,公共に必要なのか?この議論が必要となる。個人の視点とどのように共同,公共の視点が相違するのか。また,その接点はどこにあるのか?