初代校長、市川圭一「山に教育あり」から見て

「森林風致計画学の意義」と市川初代校長の著書の参照

はじめに
 林業大学校の初代校長、市川圭一氏は林大の目指す教育の理想を著書「山に教育あり」で述べている。広い社会的な視野を持つ森林官、林業技術者が育つことを期待しているようである。校長みずから教育現場でこの理想を活かすべく2年後に急死され、林業大学校の教職員、学生は校長の精神を受け継ぎ、よりどころとしてきた。私の森林風致計画学のよりどころも、市川校長より依頼された『県民の森」の計画、講義の委嘱によっており、通じて校長の志を受け継ぎたいと思うのである。

森林税による県民への責任
 昨年の大北森林組合で巨額な補助金の使途不明問題は県民の森林税負担の期待を失墜させた。県民の信頼と森林整備への期待に応える面では、林大の人材育成の教育体系の現在の問題も国の助成金の使途と同様である。森林税の使途は森林育成と同時に、県民が森林環境を享受できると考えるからであって、森林環境を享受する技術とある森林風致計画は森林整備に県民への理解を得ることができる教育内容の重要部分と考えられる。林大にはこのような森林税の使途の公益性を意識した若い林業技術者を養成する責任があるだろう。
 市川校長の著書の一節より「森林・林業は、産業としての機能のみならず、その公益性は県民生活にとって、極めて重要な役割を果たしており、今後共一層多面的機能の充実が要請されている。・・・」

初代校長の林大創設の情熱
 林大の創設の背景は、林業の衰退と林業技術者の減少にある。初代校長は県有林室の責任者であった時、カラマツの若齢林を主とした県有林の利用価値が減退し、将来に向けて森林を育成する技術者もいないことを痛感していた。
市川校長:林業人として、どうしても心の底に留めておかねばならないのは、われわれ林業人の自然観である。思想の混乱、価値の多様化の中にあっても、これだけは叩き込んでおかねばと考えたのである。これから森林を育て、その計画的利用を業とする人間を育成するには、20年で変わらねばならないような物は無意味であるからである。
 以上の校長の言は、著書の末尾の「教育への期待」で林業人の使命感として、林大教育の目標を示し、森林育成の目標の調和、森林への愛情を重視することを強調している。
 林大の設立は、新たな時代の技術者育成のための林業教育を志したといえる。それには、林業技術の習得以上に、新たな時代の森林への要請に対処できる人材養成を重視し、全人教育を推進しようとした。そのため、カリキュラムは短大と同等に教養科目を重視し、専門科目は、現場に通じた県職員の担当と大学の広い林学科目の根幹の科目によって構成している。私の担当する講義名は開学当時、森林風致計画学の名称がなかったために、信大の講座名から、仮に「造園学」となっていた。しかし、校長の教育目標とした森林目標の調和、森林への愛情を担う重要な科目として依託された講義として森林風致計画学に改めた。
 学生は2年間の全寮制で。校長自身が泊まり込んで、学生と一体の生活まで行ったなどの市川校長の実践は「山に教育あり」の著書を参照されたい。現在のカリキュラムにもその骨格は継承されていることが考えられるが、当初の教育理念から逸脱した即戦的な技術者へと比重が増大しているように感じられる。

以下の言葉に感銘を受けられたとのこと、校長の熱意に打たれることはそうなのです。
「20年で変わらねばならないような物は無意味である」・・・深いです。
私にとっては、大きな批判の言葉です。
森林風致計画、造園学の看板を掲げながら、その実体、実績を明確に示さないまま、今に至っている私を鞭打つ言葉です。
私の講義を受けた卒業生の皆様には申し訳ないことです。
遅きに失しますが、皆さん方も小生への親交ではなく、一生の総括にご批判下さい。
伊藤精晤