森林風致計画学の意義

はじめに
 さる林業大学校より、森林風致計画の講義を廃止、縮小したいが、どうかという意見を求められた。林業機械の講義を拡大したいためという。戦後林政が林業開発による森林資源の枯渇と環境保全との間で大きく揺れ動いてきた歴史が無視されている。資源育成による環境向上、向上した環境の休養利用を目指す森林風致計画の分野の意義が忘れられている。これは、この分野の講座が3大学の内、2大学で消滅したことと同根の意識であろう。
 林業機械の講義の拡大が、林大で必要だという理由は聞いていないので、明確ではないが、森林収穫技術と森林風致計画が対立軸として考えられる点は問題であろう。森林風致計画学が何故、開学当初から必要とされ、30年の歴史を経てきたにも関わらず、必要が薄れたと考えられ、森林生態学さえも縮小の遡上に上げられているということを聞いて驚いた。
 林大のカリキュラムを眺めてみたが、開学当初の林大の教育体系はどうなっているのかは、はっきりとは見えてこなかった。学生の林業技術者としての資格取得などのために、新たな講義をつぎはぎし、講義を多様にしためかと思われる。
 林業技術者養成の偏重に対して、林業教育の社会的責任の点で、森林税の面から考えてみたい。

森林税による県民への責任
 昨年、大北森林組合で巨額な補助金の使途不明問題が発覚した、森林育成や基盤整備のための補助金が使用されていなかった。国は県に返還だけでなく、罰則金の要求を検討しているという。県民が森林の育成のために森林税が支払っており、国と同様に、支払いを求めたい気持ちとなることを忘れてはならない。
 県民の信頼と森林整備への期待に応える面では、林大の人材育成の教育体系の現在の問題も国の助成金の使途と同様である。森林税の使途は森林育成と同時に、県民が森林環境を享受できると考えるからであって、森林環境を享受する技術とある森林風致計画は森林整備に県民への理解を得ることができる教育内容の重要部分と考えられる。県立の林大にはこのような森林税の使途の公益性を意識した若い林業技術者を養成する責任があるだろう。
 森林風致計画の講義が、森林の公益性として休養利用要求に応えるものであったことを、初代校長の林業教育への情熱から考えてみよう。

初代校長の林大創設の情熱
 林大の創設の背景は、林業の衰退と林業技術者の減少にある。初代校長は県有林室の責任者であった時、カラマツの若齢林を主とした県有林の利用価値が減退し、将来に向けて森林を育成する技術者もいないことを痛感していた。
 林大の設立は、新たな技術者育成のための林業教育を志したといえる。それには、林業技術の習得以上に、新たな時代の森林への要請に対処できる人材養成を重視し、全人教育を推進しようとした。そのため、カリキュラムは短大と同等に教養科目を重視し、専門科目は、現場に通じた県職員の担当と大学の広い林学科目の根幹の科目によって構成している。
 学生は2年間の全寮制で。校長自身が泊まり込んで、学生と一体の生活まで行った。現場の実務に長け、森林への広い見識と林業への情熱をもった技術者の養成を目指したとその著書から伺える。現在のカリキュラムにもその骨格は継承されていることが感じられるが、当初の教育理念から逸脱した即戦的な技術者へと比重が増大しているように感じられる。

森林風致計画学の要請
 私が校長より森林風致計画学の講義を委嘱されたのは、校長が県有林室長であった時代に遡る。当時、林業の停滞の一方、全国各地で森林、戸外休養の増大に対処して、森林を休養利用の場とすること公共事業に取り上げられていた。(平成26年度の森林・林業白書では、林業の停滞期は、現在、さらに衰退へと進行しているとしているとしている。)長野県の明治百年記念事業として、県有林の新たな利用に役立てようと、休養利用の条件が検討された。その上で県民の森が松本市三城の県有林に設定されることになった。その計画を私に委嘱されたところから、校長の知己を得た。
 県民の森の条件であるが、まず、利用者の導入が問題である。利用者の導入には、交通の便と森林の魅力の2つの要因が必要である。赤沢自然休養林のように森林の魅力だけで交通条件によらなくても利用される場合もあるが、三城県有林はカラマツの植林地で沢筋と尾根部だけに自然林が残され、県有林に連続する三城牧場の草原も鉄条網で仕切られている状態であった。また、県民の森まで到達する交通は、松本からの登山バスがあるだけであった。利用の増大をはかるには、森林の魅力の育成が必要となる。しかし、森林などの状態による限度と森林育成の時間を考える必要がある。こうした立地条件は、県有林室長の要請によって当時の林務職員の多くが参加して、長野県各地に散在する県有林の検討を通じて行われた。それだけ、森林育成の意義を衰退する木材生産から、休養利用を導入することによって多様化する必要があったといえる。
 林大の開学に当たって、新たな森林利用の目的となる森林風致計画学を、全国の動向に先駆けて、導入しようとしたといえる。

森林風致計画の構成
 県民の森の立地条件の判断によって決定した計画の具体的な内容が、私の考える基本的な森林風致計画の構成となった。利用者のための造園計画、魅力ある森林の利用のための手入れ作業と森林の魅力の育成作業が必要となる。しかし、造園計画であっても、敷地造成から始まる庭園、公園の造園とは異なる。歩き易い踏み跡を体験的に見出し、森林に魅力ある場所を発見する、自然環境を活かす感覚から、施設が計画されるような自然的な造園である。また、森林内の施設は、森林管理、林業経営のために建設されるものである。すなわち、施設の建設の点だけでも、休養利用、自然環境の保全林業経営の3者の併用によって成立するのである。どれか一面にだけに偏ると3つの森林利用の共存はできない。森林の手入れ、長期的な森林育成、利用にも同様のことが言える。

森林風致計画の展開
 林業経営のための森林管理の中に社会的要求である休養利用を自然環境の尊重とともに含める考えは、19世紀末から「森林美学」として、フォン・ザーリッシュによって確立し、戦前の日本の林学に影響を与えており、明治神宮の造営、伊勢神宮の森林施業にも反映し、国立公園の管理、観光地の風景育成にも影響を与えている。さらに、メーラーによって森林美学は森林有機体(森林生態学)が持続する恒続林思想に継承され、林業技術全般に広く影響を与えた。
 しかし、戦後日本の森林は山地の緑化のための植林と経済優先の林業展開から、皆伐による人工の一斉林を作り出したために、生態系、森林美と対立するものになった。その経済的林業も国際競争の中で停滞し、森林が放置され、森林育成が補助によってかろうじて持続する状態である。林地所有者は森林育成の補助が、何のための補助なのかを、明確に意識し、社会的な意義を自覚する必要がある。初代校長の認識は時代に必要とされたものであった。これは、今日にも変わってはいない。

森林風致計画の意義
 林業は産業として、企業や森林所有者の利益に関わる問題であり、これらの生産者にとって、需要が無くては、商品として販売できず、利益も上がらないことになる。しかし、森林には公益的な環境としての役割があり、植林、育林を助成してきた。成立した人工林も生産者の立場から、利益にならなければ、放置される状態となる。多くの林地所有者の薪炭林、堆肥採取などの利用も、燃料革命、農業機械化とともに行われなくなり、所謂、里山の放置が問題とされ、拡大造林にいたる。しかし、その結果の人工林の増大が、管理不足の放置林を生み出している。
 人為の手が入らなくなれば、自然の二次林に移行していくが、人工林では二次林への移行が困難で、放置されて森林破壊が起こり、災害の誘因となる場合もある。こうした、放置林が森林蓄積を増大させており、その活用が問題とされ、木材収穫のための林業機械に注目が集まっている。林業機械への巨額の投資への採算性からは、機械の利用可能地の徹底的な収穫が進行することが想像される。
 一方、限られた樹種の大量生産のための人工林への反省から、天然林施業への転換の動きも生まれている。天然林施業は生態系を配慮する点で、恒続林お考えに通じており、森林美学の配慮によって、森林環境の休養利用にも効果があることが考えられる。

現在の講義の持続と展開
 現在の担当者の講義は、現在の森林の休養利用の実情に即しており、今後の森林風致の技術展開が天然林施業の確立と一致してくるという方向であり、これは、生産の面から、多目的な経済利用と一致し、また、森林の多様性とも一致するものといえる。
 生活環境保全林、自然休養林などの新たな増設は行われなくなったが、量的な充足の段階から、管理による森林育成に重点が置かれる段階となり、休養利用は森林が魅力的になれば、一層、増大することは、間違いない。私の関わった、松本の千鹿頭、南箕輪村大芝村有林、駒ヶ根市の池山市有林の整備も利用者を増大させている。
 校長は荒山林業に同道されていたが、故荒山氏がどれだけ努力して天然林施業の成立に心血を注いでいたかを、理解されなかったようである。実際、荒山林業を訪れ、魅力ある森林と評価する人は大勢いる。

林大のカリキュラム改革への提言
 ①就職問題での講義数増大には、求人事情の幅広く、長期的な見通しが必要である。
 ②周到な調査を行い、これまでの卒業生の動向を明らかにする。
 ③カリキュラムに選択制を設ける。学生の希望を聞く。
 ④学外講義担当者の負担軽減のために、伊那、松本に講義室を借り、学生を移動させる。
 上記の改善処置が、林大存立の基本的精神「山に教育あり」を支柱に行う必要がある。