場所と場面の構造 故郷

 私には故郷はない。四国に生まれ、阪神に出て、北海道、京都から現在住んでいる信州に来て、40年近くを過ぎ、終生の地になりそうである。両親の故郷は北九州であるが、四国、阪神から、東京に出て、奈良を終生の地に選んだ。母の実家は、魚屋で祖父母の代に開業して、今も伯母と息子夫婦、孫が魚屋を営業しており、4代と続いている。開業以来百年近くとなるが、家屋や店の様子は私の小さなころから全く変わっていない。その懐かしい店は洞海湾を渡る船の波止場から中心市街に向かう本通りに面している。その本通りの人通りはすっかり少なくなり、商店も空き家が多くなり、中心市街は改造されて歴史を感じさせなくなった。墓参りには昔の道筋がたどれない程に途中の様子は変わってしまった。墓地は昔ながらの丘の上にあり、墓は店のある市街を向いて、守っているように時を刻んでいる。
 母が昨年なくなり、今年で90歳となるが、実家の健在が母の幼い頃を現実的な思い出に変えてくれる。伯母の元気な声は、魚屋のにおいや賑わいや当時に還った人々の様子を思い起こさせる。伯母は伯父のもとにきて67年になるという。伯母が元気でいるのも、その故郷が生活の場となっているからだと思う。長年、魚をさばき、店くる客に声を掛け合った数十年は、町の人の生活と一体となって過ごした年月であった。その商売の盛衰は、町の盛衰とつながっていた。魚の仕入れに、市場の動向が関連するが、夫や息子の仕入れで日々の店に並んだ魚が、変わることはなかった。それだけに、市場が統合されて遠くなり、漁師の運んでくる範囲が拡大して、競争が激化したことは、大きな打撃にもなった。伯父が亡くなった後、伯母が中心となって店を支え、息子の代へと店を引き継いだ。伯母の生活の歴史、活力は、こうした故郷の環境、社会的条件と結び付いている。故郷が実在するとともに、その故郷はその長い歴史とともに伯母の頭脳の中にすべて包含され、伯母の知性的で活力のある生き方のもとになっている。
 故郷は伯母のような人のためにあるのだ。地域に広がる環境の中に生活し、地域を深く理解し、知性的な判断と人との関わりを持っている。百年も持続する魚屋、何も変わらない、店の様子は、故郷を現出している。私もまた、そこに故郷を見出して、心の拠り所となっているといえる。