庭と風景の関係

はじめに
 庭は、造園学の原点として最初に問題とされる場合が多い。建築において住居が原点であることと共通するのであろうか。近代の建築学の原点、原論は人間と空間から出発していると言ってもよいのであろうか。では近代の造園学では、原論の課題は、風景を問題として、人間と自然の関係から出発するのであろうか。しかし、日本の造園学は、未だにわ論から脱却しているとはいえない。
1、近代造園学における庭から風景への脱却
 近代造園学が、風景式庭園を原点としていることを考えれば、「庭園」と「風景」の結びつきは、明らかである。「庭園」に「風景」が結びついて、「風景式庭園」が成立し、その「風景式庭園」から都市空間に対する公園緑地空間によって風景を形成しようとしたことで、近代造園学の成立をみたのではないだろうか。ここで、個人の占有物である「庭園」は、公共空間である「公園緑地」へと転換し、都市空間に結合することによって、都市住民にとって「風景」が提供されるものとなった。
 さらに、現代造園学は公園緑地空間を脱却して都市住民個々の都市風景、人工に対する自然環境を創造することを目指すものといえるのではないかと考える。こ近代造園学が「ランドスケープ・アーキテクチュア」といわれる所以ではないか。
2、生活環境の知覚と「庭」の成立
 風景を、個々人の環境の知覚とするならば、原始時代においての人類も、環境を知覚していたといえるだろう。しかし、現代と原始時代では環境は全く相違している。その環境をとらえる主体のあり方も相違している。原始時代から現代にいたる、人と環境との関係は、年代的に連続しながら、劇的に変化していったことが想像される。
 この年代的変化における主体のあり方の要因の一つに「居住」「庭」が介在している。環境を知覚することは、行動の側面であり、行動は生活を成立させていると考えれば、生活の場としての「居住」「庭」とその場から広がる生活環境の知覚として、関係する要因である。
 野生動物がそうであるように、原始時代の人類にとっての生存環境は、活動領域、テリトリーであったといえる。人類が群れを作り、それを共同体というならば、活動領域は共同体のものである。共同体論にあるように、原始共同体には個人の占有する土地はありえなかった。共同体の成員は、環境を知覚し、それは生存のためであった。
 農業の発生から定住化が行われ、共同体の内部に私的所有が生まれていったとされる。共同体が統合され、専制国家の成立とともに支配層と被支配層の関係が生じてくると、支配層における私的土地所有が強化され、都城内部の居住地に「庭」が生まれる。国家の広がりと個人の占有する「庭」とが関係している。国家の広がりを統治する機構に関わる環境の知覚と「庭」とが、仕事と生活として関係づけられたといえる。一方、被支配層は共同体内部に留められたのであろう。
 近代市民社会に至り、市民の私的所有による庭と民主主義社会として成立する国家によって、庭と環境の知覚としての風景が成立したのである。しかし、個人は、資本主義のもとで、環境に対する関係は、土地占有によって排除されており、環境と風景とは分離されるものとなったといえる。