林内空間の視野

sei-fuchi2008-09-24

はじめに
 森林の中に入ると、五感が働き、森林を構成する多様な事物が作用して、一瞬混乱し、次第にその混乱に慣れてくる。森林は混沌として知覚され、見知らぬ場所にとまどい、行き先を見失う。日常に慣れ親しみ、分かりきった場所で行き先を見失うことなどない場合とは対比的である。しかし、森林で戸惑っていては、それ以上は深くは森の中に入れない。戸惑いや未知は新鮮な感覚や空想を刺激する。森林の環境を判断する空想は様々な仮説の一端でもある。仮説と経験との交互の関係から、森林のイメージが展開し、そのイメージに応じて、森林の認識は深められるのであろう。
 人間共通の条件から森林の認識が深められる可能性を吟味してみよう。これは教科書にも書いたことではあるので、二番煎じではあるのだが、再整理、さらなる混乱として記述することである。

行動と空間知覚
 どのような行動も、環境の知覚が不可分に結びついており、場所の移動ごとにその環境を知覚し、行動するといえる。行動、動作には身体に合致する空間条件の判断が必要となるから、空間知覚となる視覚が優先する。逆に、視覚によって知覚される空間は行動の条件を判断する手がかりである。視覚は視線の向けられた方向に視野の映像として空間を知覚させる。視野は空間の広がりを認識させ、視線は注意を引く事物に向けられる。移動における視線は前方で、上でも下でもない眼の位置から水平に向けることが中心となる。

森林空間における視線と視野
 森林空間は地表と地表に生育した樹木を主にした多様な植物とそこに生息する動物によって構成されている。樹木によって天蓋が生じ、樹木の幹や枝、下層の樹木によって壁が生じ、地表を覆う植物によって地表が林床となる。三方が囲繞された、閉鎖空間といえる。人は、森林空間に抱かれたと感じるか、閉じ込められたと感じるかであるが、樹木の囲繞は外部に透過しており、開放された空間である。見通しによって閉鎖と開放の感情が異なるだろう。
 移動には林床の植生を除去して道が準備される。視線は道の前方に向けられ、切り開かれた見通しを知覚させる。開かれた見通しから、樹木、森の断面が知覚できる。
しかし、側方は林縁の壁である。道による開放が広いほど林縁が形成され、樹木が低いほど、道が林冠で閉鎖されず、林縁が生じる。しかし、林冠が閉鎖されると側方は透過空間として見通しが生じ、林床と天蓋を構成する林冠が広がりとなって空間的奥行きを見せてくれる。林内空間を構成する森林構造が視野を構成するようになる。[