観光の風景

はじめに
 観光は日常とは異なる風景を見に行くことと言うのであろうか?私は、そうした旅行を好んではいない。何か、その異なる風景で生活する人の邪魔な存在ではないか、あるいは、観光業によって適当に足合われているのではないかと心配になるからである。鉄道などの交通機関の発達と展開が、観光旅行を拡大したということであるが、生活圏を拡大し、生活圏から離れた所まで、人々を運んでくれることが、観光を促進させたのであろう。
 見知らぬ土地に立たされた自分は、不安な存在である。そこで、その知らぬ土地を知ろうとする。また、その土地の住人に接触しようとする。しばらくして、その土地、その国の中で、安心が得られるようになって、その環境が見近になって、やっと、良い風景に目が止まるようになる。

観光団体旅行
 韓国と中国の造園視察の旅行団に参加したことがある。予定された日程で、飛行機で到着し、バスで移動して、予定された目的地に到着する。旅行団は旅行の共同体であり、安心できるのだが、異国の外界への連絡はガイドに頼っている。とても楽な旅行で、すばらしい庭園に感嘆はするものの、その国の実感はない。帰国して、それぞれの国で歴史を揺るがす大事件が勃発していくニュースを知ると観光旅行がどれだけ、国情、世情と断絶していたかを知るのである。
 観光旅行は、旅行を計画した人によって、目的と目的地が設定されている。韓国旅行では岡崎文彬先生が先導され、中国旅行では佐藤昌先生の先導であった。