景観模型からの風景意識への問いかけ

はじめに
 景観模型工房は盛口さんの会社の名前である。造園学会が信州で来年5月に開催されるに当たって、盛口さんがこれまでに作った数千の模型から学会会場の展示スペースを一杯にする模型を運んできて展示したいという希望をお聞きした。この模型から風景概念とは何かを学会員に問いかけて見たいというのである。
 私は最初、様々な場所の景観の模型の集合が、見る人のある風景のイメージを呼び覚ますのか?返って混乱したイメージに終わるのではないかと勝手に考えてしまった。学会での展示に受け入れられるか?疑問に思った。
 しかし、しばらく考えて、盛口さんの問いかけには、大きな意味があるのではないかと考えた。そこで、久しぶりのブログに記述して、盛口さんの意図するところを推察することにした。

盛口さんの景観模型とは
 模型は実物の縮小として、建築設計などで、出来上がった状態を示すために作られる。盛口さんは、その設計される敷地を場所として問題として、地形、樹木などを敷地の状態を示すように模型の寸法に縮小して加える。また、必ず、その場所で行動する人物の姿を加える。そうして、単なる建築の縮小は将来生じる場所のイメージを付随したものとして示される。光線と背景を加えることによって模型は実体感を持つ物となる。人物の判別できる最小スケールから300分の1の縮尺となり、数十センチ四方の敷地の台の箱に納められる。
 この景観模型の需要は博物館の展示模型としてあり、建築を超えて、昔の鉱山などの産業の場の状況などの再現まで作られており、景観模型そのものといえる。この博物館の景観模型は、海外の博物館の専門家の研修の一部として、盛口さんが毎年の研修生を指導して、景観模型が作られている。その方法は、各国の研修生の思い出深い場所や、文化財として著名な場所のイメージを表現した図や記述から、その場所のイメージを模型に表現していく方法である。

景観模型による仮説
 未来の予想、過去の思い出、印象に残る景観、これらは各人の意識に生じるイメージであるが、景観模型に表現される時、模型を見る人は、そのイメージの場所に入っていける、イメージによって深められた景観で世界の様々場所を覆って見たいといのが、盛口さんの希望で、数千の模型も地球から見れば、何億年かかるかわからない入口でしかなく、しかし、その一歩を踏み出しているというのである。
 盛口さんの模型づくりの技術によって、模型によって表現できないものはなく、雨の中の様子、海原のきらめき、波のうねり、森林の木々の配置などの難問も乗り越えて、模型に実現している。この表現力は世界各地の景観模型を可能としている。
 盛口さんからイギリスの風景画家コンスタブルの伝記を紹介して頂き、読んだことがある。古き良き時代の農村風景を描き、フランスの画家に影響を与えたが、雲の描き方に苦労していたことが書かれていた。景観模型にも各所に同じ苦心が払われている。

世界の景観模型から人類共通の風景意識への問いかけ
 風景を意識し、様々な場所をイメージとして印象に留めることは、場所を世界に広げても同様であり、景観模型を作る世界各地の博物館研修生にも受け入れられ、人類共通の意識となっていることが、示唆される。各地の人々の生活は太陽系の惑星の運行を共有する人類の共通認識のもとにあることを示している。こうした事実を世界の模型によって、その元になる各人のイメージの実体を示すことによって、風景の共通意識を共有するこができるではないかという仮説が成立する。これを照明する野望が、夢多き鉄腕アトムに親しんだ世代の夢の実現であることを、盛口さんから聞いたことがあるように思っているのだが、間違いだったの」だろうか。
 造園学会全国大会での景観模型展示の提案の成功を祈っている。