風致と風景 囲繞景観

 眺望景観に対して囲繞景観の概念を提示して、景観論を展開したのは、塩田先生達であった。景観の土地の広がりの中に見る場所を設定した場合、その場所によって視界の開けた場所と閉鎖された場所があることは経験上、わかることである。しかし、一見、眺望を知覚してはいても、眺望の範囲に限界があることは確かである。眺望と思ったことが、その限界によって囲繞であるこもしれない。そこをどのように、区別されているかは判然とはしない。中村先生がホールの心理学的な距離の概念を導入して、至近景、近景、中景、遠景の知覚距離の区別を提示したが、これと合わせて考えれば、遠景までの視界は、眺望であるといえるかもしれない。
 囲繞は何らかの事物が壁となって視界を取り囲んでいる状態であるが、塩田先生は、おそらく、地形的な視界の遮りを意識したのであろう。さらに、森林内部は狭い囲繞景観であり、中村説でいけば、林内は至近景の五感の知覚による空間となる。岡崎先生にとって風致施業を考える上で、林内と林外は、風致と風景として区別される施業方法を考える必要があることを提示している。囲繞景観の地形的制約は、ある地点からの壁となって見える範囲に対する見えない範囲を不可視領域として意識させることになった。すなわち、眺望景観において、ある視覚対象が持つ、見られる場所の領域を意識させた。囲繞景観は視界が囲まれている点で、外部に視点を置いた場合に、不可視の見えない範囲に置かれることになる。
 囲繞景観をもたらす囲繞空間は、生活の安心感をもたらす点で、好ましい風景として意識されることを、樋口の景観論は指摘している。すなわち、盆地地形とそれを囲む山々で構成される景観である。一方、安心する点をもっと原始時代に求めて、人類の草原生活時代に起源して、草原の眺望が快い風景となることをアップルトンが指摘している。どのような風景が快いか、それは個人の意識の問題であり、また、何か一つの風景にのみ固執し、そこに共通意識があるか否かは仮説の問題である。しかし、その論拠を生活環境の選択や人類の起源に求めた論の展開は、風景の知覚には深い意味が見出せそうであることを示している。
 カミロ・ジッテの「広場の造形」は著名であるが、広場の快さが広がりと周囲の建物の高さとの関係にあることを明らかにしている。これを空間の閉鎖と開放の関係として芦原はD(広がり)-H(高さ)の関係による視角関係として論じている。風景における囲繞景観との関係を考えれば、広場の広がりが近景の範囲であり、視点を置いた場所からの閉鎖的な眺めであり、五感に作用する風致を感じる場といえる。閉鎖し、住居の密集した都市環境に空けられた空隙であり、都市の風致を凝集する場所がヨーロッパの広場の空間であったのではないだろうか?場所における風致の介在の証左が、広場に見出される。こうした広場から、都市の街路整備におけるヴィスタの実現による透視図法的視覚は、広場空間の閉鎖と対比的な局部的な視界の開放としての街路空間の効果を示すものとなるだろう。
 地上の人間の知覚を中心に考えられた天動説は、キリスト教の世界像として受継がれた。天動説による世界像は、天空と地上の広がりのもとに囲繞された現実的な風景の知覚に一致している。その天動説が科学的な認識のもとに否定されるとともに、近代的個人の思想が成立してくる。天動説の世界像は、風景知覚のなかに展開していったといえるのではないだろうか?とすれば、眺望景観そのものが囲繞景観に含まれるものであり、囲繞の範囲の広大さによるものといえる。