森林風致 林内空間と事物の知覚

 視野に写る林内の全体像を背景として、注意は全体像の一部に向けられ、事物が知覚される。全体像は空間であり、注意された事物は、その空間のどこに位置しているか、それは何かが、一瞬の内に認知され、様々な事物に注意の視線が移動する。林内を構成している空間構成要素と事物の知覚は、距離とその大きさによって視野を占める範囲が異なってくる。注意の強度によって、事物は細部の状態が何か、どうなっているかを判別することが精密さを増す。細部を精密に判別するには、事物に接近すれば良い。接近することによって事物の細部を精密に判別できるが、全体像は視野の範囲をはみ出してしまう。事物の大きさと対応して、数センチ、数十センチの接近した知覚と数メートルの接近、数10メートルの距離の知覚が区別され、注意と距離と取り方が相違してくる。
 数センチの視野には顔面の鼻、口などが入ってくる。類人猿が鼻と口が突き出ている状態で、視野の周辺に鼻、口の占める割合が大きく、それが定常的な位置の基準となっていたのではないか、手は触覚の延長であり、手の延長として道具が使われるが、この視野の状態と連動して、進化したのではないかと、脳研究の最前線では推察している。人類は顔が平板になり、視野の範囲が広げられた。人類への進化の過程は脳の構造に先天的な能力として蓄積されている。接触、接近した距離における、味覚、嗅覚、触覚、視覚、聴覚は、連携した行動として連続していることは、知覚の結合をあらわしている。感覚の連携した知覚は、脳の活動からも実証される段階となったとのことである。
 視覚における事物が何かを判別する判断は、形態の知覚により、その形態は、分類された個々の形を総合して行われるとのことである。自動車が、車輪、車体、フロントガラスなどに区分され、それを総合して自動車を判別し、さらに、移動しているかというような判断が加わる。脳内の情報処理過程と、意識的な判断とは言語を通じて一体のものといえるのではないだろうか。一方、科学的な観察を通じて得られる知識に対して、個人の経験的な認識が合致しうるかも、意識的な経験か、経験による意識かの上で、問題となる。
 林内空間を構成する要素と事物は、視野の上部、中央部、下部の林冠部、樹幹の林立した奥行き、林床部と足元で空間が構成され、事物は林床の草本、潅木、地面、落葉の堆積、苔など、中央部の低木、幹や下枝、上部の樹冠の集合である。また、空間を満たす光、大気の状態である。生息する動物相も目に留まる事物であろう。すなわち、森林に構成された生物環境であり、そこで知覚されるものは、多元的な生物の活動とその環境である。林内の透過的で、閉鎖的な空間は、近接した感覚刺激となり、多様な事物への注意を促す環境であり、近接と注意は、要素や事物をクローズアップし、その細部を精密に知覚させる。
 林内の環境に対する、人間の知覚能力から、可能となりうる、森林意識を想定できる。今度は逆に、林内で意識された体験内容から、林内環境の反映と受容する知覚能力の発揮を読み取ることによって、林内環境における知覚構造を考察することが課題であろう。この一歩は、既に清水などによって取り組まれている。