森林風致 和洋の森林のイメージ

1 和洋の森林のイメージの相違
西洋  創られた森  森林を人が関わって創るものとして親しまれる
日本  自然の森   生活に対置される資源の森として、利用されるが、尊重されない
 以上の森林イメージの相違は、F先生から疑問として提起された課題であり、この仮説がそうなのか、そうだとすれば、何が原因となるのか。こうした疑問への推論を考えてみた。

2 ヨーロッパの森のイメージ
 パリにおけるヴァンセンヌ・ブーロニュの森はパリ大改造に伴って150年前に創られた森である。目的は市民の休息と場であり、都市生活に連続したものであった。週末などの利用、また、都市空間の人工を補う大規模な公園として利用されたのであろう。森が存在し、利用されることによって、市民生活と森林の休息は同等の価値を持ち、都市と森林は補完しあう存在として、森林が尊重され、持続したのではないか。
 ヨーロッパには中世に大開墾時代を迎えた。宗教改革の時代には修道院が作られ、修道院も開墾を行った。森林は開墾の対象として破壊された。それまでの恐れる存在ではなくなった。キリスト教の教義からも山地・森林は恐れの対象であったが、恐れは無くなり親しみが生まれた。森林の喪失は、環境を悪化させ、また資源不足を招いた。その後の囲い込みによる共同体の森の喪失も進行した。
 これに対して、森林を保全する必要や運動が生まれた。資源育成のための植林、林業が成立するようになった。ヨーロッパの都市では都市の所有する都市林が、中世の頃より存在した。農村には共同体の森林が存在した。しかし、囲い込みの中で衰退した。都市林は都市の近代化とともに、資源、環境として育成されるものとなり、都市の財政基盤にもなったであろう。都市住民の自然との接触、休養利用の欲求増大とともに、都市林の休養利用が行われるようになった。共有地の森林に関する保存運動も展開した。

3 日本の森林のイメージ 
 神社は、ヨーロッパには見られない。神社の境内には、樹林が見られる場合が多い。神社は起源を古代の氏族共同体に求めることができ、神体や神話に自然崇拝と関連する信仰を読み取ることができる。樹林の存在は、自然崇拝の一端と見ることができる。一方で、神社は共同体の成員の集合する社会的空間(広場)として存在理由もある。共同体は自然環境を土台として成立し、共有地として確保してきた。森林は災害を防止し、水源を涵養する環境機能を持ち、木材資源を利用できる。原野は資源となる採草地であり、共有地として確保された。神社は共同意識を確認し、共同労働とともに、自然環境の共同利用の意識を育成する働きの場であっただろう。神社の樹林は山地の自然環境と共同体を媒介に、意識的な結合があったといえる。
 近代化の中で農村の共同体意識は力を弱め、共有の山地も資源的な価値が減少した。神社は、住民の共同空間として利用され、住民から支えられて持続する広場として意識されるようになると、近隣公園の機能を持ったものへと転換したといえる。公園と異なる所は、樹林の存在である。その樹林によって、山地の自然環境への連続性が、確保されているといえるかもしれない。山地の森林が放置され、近寄り難い存在となったことを、神社の樹林からの連続性を再生するために、改善しようとするかもしれない。
 日本人の森林イメージを、神社の樹林に見るならば、崇拝される自然をイメージする。一方、資源利用の場として森林をイメージするなら、森林は尊重されないものとなる。資源採取の場として親しまれた山林が、資源として利用されなくなると、山林はたちまち、無用なものとして放置されてしまった。山地の自然で結びついた共同体意識が薄れてしまった。ますます、森林は尊重されなくなったといえる。開発の進展が急速であった都市近郊では、森林の喪失へと連動していた。

4 森と林のイメージから
 森と林を使い分けるならば、原始時代を原生林とするなら、その時代は森といえたのであろう。古代に自然崇拝の対象として残された森林も「森」といえたのであろう。水源のために残された森林も「森」のイメージに合致するが、原生林のような自然環境が維持されている森林、あるいは、持続してきた森林が「森」のイメージに合致するように思う。「林」は人々が利用する森林、薪炭林などが近いのであろう。
 日本では神社にある森林は「森」であり、農業と関連して利用される「山林」「雑木林」は「林」のイメージが浮かび、区別を説明しやすい。ヨーロッパの森林は、古代ローマが直面したゲルマニアのイメージと重なるのであろうか。原始的な民族とローマ人との戦闘に森林は抗しがたい境界となった。中世の大開墾時代以前の森林地域にも、ゲルマニアの森林のイメージは持続したのであろう。人為の影響を拒む森林は「森」イメージであろうか。中世に薪炭採取や放牧に利用した森林は、共同体や都市の共有地と重なり、「林」のイメージに近いのではないか。近代の林業は、森林の生育を人為的に行うものとして、「森」と「林」は連続し、施業林を「森林」のイメージに該当させたのかもしれない。都市民の求める自然との接触の場は、「森」のイメージをふさわしいとしたのであろうか。
 結論的な推論を「森」と「林」から言うならば、日本は「森」を聖なるものとして尊重し、「林」は資源利用の場としては親しまれたが、利用の衰退で、無用な存在となり、親しみも忘れられた。
これに対して、西洋では、人の介在する「林」に、「「森」を資源として育成して、「森林」とし、その環境を人々が「森」として自然の接触の場として利用するようになった。都市民の利用に特化した森林は「森」として親しまれ、尊重されるものとなったのではないか。これが和洋の森林イメージの相違の推論であるというよりは、仮説である。