ドイツ林業の時代的背景(1)ユンカーの林業経営

はじめに
 林学の歴史の専門ではないので、わずかな知識しか持たないで、論じることになるのだが、森林美学とその著者であるヴォン・ザリッシュの背景となる林学の状況を考えてみた。
 ドイツ林業は林学の発展と一体である。林学が林業を発展させ、林業が林学を発展させたといえる。林学の創始者は、領邦国家国有林、王有林の計画的管理を目標とし、同時に林務官の教育に必要な知識を体系化するものだった。しかし、それは経済的に、産業として林業を成立させるものではなかった。

林業の担い手
 産業革命によって工業が発展し、社会的に資本主義経済が成立していった。木材資源の需要増大は林業を成立させるようになるが、その経営の担い手が、林地の所有者であったユンカーであると言われる。プロシア王国では、ユンカーと呼ばれる貴族層が国家の中心を形成し、ドイツ帝国の東部地域には近代化の進展の中にも、ユンカー層が持続したことが指摘されている。
 ユンカーによる大土地所有の林業経営が進展する上で、土地純収穫説となる林学が興隆してきたことを、黒田氏が指摘している。ユンカーの謂れは、中世から近世の封建的な農村共同体を支配する領主であり、騎士階級を構成していた。そうした点からは、近代化時代の大土地所有者として林業は主要な産業ではなく、農業経営を主眼としたことが考えられる。東部地域を後進地域とした理由に、ユンカーによる大土地所有であったことが、あげられる。封建的な農奴体制が廃止される中で、自営農民の成立は困難で、農業労働者化や人口流出を進展させたためであろう。ユンカーは農業経営から林業経営への転換はどのように行われたのであろうか。
 経営は企業によって行われ、経営学は企業活動のためにあるといえる。土地所有が単に財産として保有される場合には、経営の必要は生じない点で、封建的体制では経営の前段階となる財産管理、運営のための家政学が成立したということである。ドイツにおいて近代科学としての農学の成立をみるが、東部地域においては農業の面でも後進地域となり、近代的企業的農業を成立させなかったのは、ユンカー体制に由来することが言われる。一方で林学においての企業的林業の展開がユンカーによって行われたと指摘されている。
 東部農村の急激な人口流出は、農業労働力を不足させ、土地の遊休地化を生じさせていたことが考えられるが、大土地所有者は、農業経営に困難を来たすとともに、遊休地化されて地価の低下した土地を獲得することができたのであろう。ますます、大規模化した土地の活用として、農業から林業への移行が起こったのではないだろうか。ユンカーが林業経営に乗り出す上で、土地の獲得は投資であり、投資によって利潤が追及される必要があり、林学を進展させたといえるのではないか。

森林の変化
 領主は森林を狩猟地として保有し、農民は放牧や燃料を得るための共有地が必要であった。林業経営を成立させるためには、既存の森林を収穫規制して、持続的な経営を成立させ、荒廃地や、放棄された農地には植林を必要としただろう。植林された土地も経営を持続するために、林齢(齢級)を段階的に配分する必要がある。