林業の風景

はじめに
 林業が風景を作るのであって、風景として見られる林業はありえないことは確かである。しかし、林業が成立しないと考えられた時、森林は放置され、風景として眺めている以外の何者でもなくなってしまう。戦後の植林、拡大造林による里山の林種転換は、将来の林業成立を期待して行われたものであろう。植林地、人工林の広がる風景が拡大していった。植林に続く、手入れと森林管理に林道建設も進められ、林業基盤の整備も進められた。林地所有者もこうした政策に協力的であったといえる。こうした条件下で、経済的利益が期待され、優先していったと考えられる。大規模な伐採や施設整備、機械化などによる生産性向上も経済性追及の一環であったといえる。まさに、山林は林業風景が成立していたのである。
 現在、林木が収穫できる段階になってきているにも関わらず、林業の成立は滞っている。最終の収穫段階において、木材収入が得られない状況が生じているからである。収穫を先延ばしし、高齢林を目指そうとしても、間伐収入が得られないために、手入れの労力をかけられないためであろう。林業として育林が収穫に結びついて経営が成立している林地所有者は限られている。さらに、林業収入によって生計が成り立ち、雇用までできる林業経営者は極めて少数である。
 例えば、千戸近い農村地区で、林地所有者は半数以上であるが、林地を数十ha以上の所有者は2,3戸程度であり、そうした所有者は育林には熱心であるが、林業経営が成立していることは聞かれない。林業経営には数百haの規模でなければ成立しないのであろうか。大学演習林の人工林の団地が200ha余りであったが、林業経営可能地が半分として毎年、0.5haの伐採して200年の輪伐期で経営できる可能性はあった。架空の想定で、ヒノキ200年生を100本収穫し、1本が20~30万で売れたとすれば、2,3000万円となる計算である。5人で育成、収穫の作業を行うとすれば、利益なしで一人当たり、400〜600万円の賃金になって収支が0となる。
 多くが、小林地の所有者で、断続的な収穫によって、一時的な収入が期待できるだけである。森林育成を継続的に行うことは毎年の収支では困難であり、農家などの余力で確保し、副業収入であるほかはない。それでも資源として森林蓄積が増大し、また、将来の蓄積拡大に、手入れを継続する必要がある。島崎先生は、省力と簡便な技術の適用によって手入れの継続を奨励し、技術の普及に力を尽くされた。

森林育成の構図
 島崎先生の山林塾に期待が集まり、多くの林業技術習得の希望者が集まった。職業としての林業技術者は、森林組合や以前は国有林などで現場作業を担当する職種であった。請負事業として独立する業者も生まれている。危険が多い過酷な現場労働に人が集まらず、高齢化するばかりであった林業労働に山林塾の希望者の参入は期待できることであった。しかし、国有林は人員削減で現場技術者を減少させ、請負への委託事業などに転換していった。森林組合の作業班の人員もそれ程多く採用できるものでもなかっただろう。請負にNPO団体などの参入が新たな林業労働の補強となっただけではないだろうか。
 結局、林地所有者が林業経営の期待が得られないだけ、森林育成に積極的になれず、仕事が生じないことになる。こうした森林所有者に森林育成を奨励するために行政的な措置として補助事業が行われている。これによって森林育成の仕事が発生し、森林組合や請負企業による事業実施となって、林業技術者の出番が生じる。それでも、林地所有者が森林を放置しつづけるなら、技術者の出番はなくなる。
 森林育成の奨励は、林業成立への期待がなければ、効果を十分に上げることができず、植林において期待され、期待どおりに行かなかったことが、繰り返される可能性がある。今、森林は手入れされた林地と放置された林地が相半ばしている状況が見られる。林業の風景とは言い切れない状態である。現在の日本には、吉野林業地域の重く、緊迫した林業風景は希有なものなのであろう。といって薪炭林の地域生活に密着した里山風景とも言えない。

造林技術と育林学
 私の学んだ造林学は、全く実務的な技術を教科書としていた。古い森林生態学に基づく育林学も存在していたのに、全くの技術書を教科書に採用していたか推測するのに、きっと実用的だあったからだろう。苗圃の挿し木接木実習にも記述があって参考にできたことが思い出され、ほとんど、すべて、必要な技術が書かれていた。育林学は新たな生態学による森林研究が進みつつあった時期で、変革が予想されていたために、取り上げられなかったのであろう。植物社会学、物質循環からの樹木生理学の新たな研究が展開し、かっての育林学、造林学とは異なる、新たな造林学が展開して行ったと、推定する。しかし、新しい造林学は、学理として基礎科学に依拠し、森林の生態生理的解析に目を開かせるものであった。しかし、学理を応用して、現場の技術、森林の現状に必要な技術としていくのに、
現場、現状での技術の条件の経験と解析が必要であったのではなかっただろうか。かっての造林学、育林学は森林育成の目標に適合した技術として、一斉林、択伐林などを成立させる技術書として役立ったのであろう。現在の新たな造林学の育林の目標はどこに置かれているのだろうか。
 島崎先生の実践的な技術開発は、林業の現場の問題解決に役立とうとして取り組まれたと考えるが、学理による支持よりは、批判と無視がなされてはいないだろうか。造林学が応用科学から応用技術の展開をするために、現場での問題、問題解決への試みに取り組み、評価することが、社会への貢献にとって必要ではないだろうか。かっての技術が林業風景を作ってきたように、新たな学理が技術と結合して、放置され、混乱した森林風景を多機能の合目的な林業風景に転換する可能性に期待したい。