農学部の構成と森林科学

はじめに
 大学の農学部は農業における科学的な基礎を究明するために創立されていったのであろう。しかし、その基礎が生命科学とされていくと、土地から離れて、農産物から食品に興味の中心が移っていくようである。それとともに、林学は木材生産から森林環境へと重点が変化したように感じられる。それとともに、学科の名称も変化した。信州大学農学部は、開設当初は農学科と林学科の2学科であったが、農学科が園芸農学科と畜産学科に拡大、林学科が林学科と森林工学科に拡大した。その4学科から農芸化学科を創設して、5学科となった。5学科を再編して、生物生産、応用生命、森林、各科学科の3学科とされ、学科内部が小講座制から大講座制に改められた。
 その後、生物生産科学は食料生産科学に改称して今日に至っている。食料生産に対して、森林は木材生産と自然環境を担う分野と考えられる。応用生命は生命科学の基礎を、自然資源と食料生産の開発に応用する分野と受け取ることが出来る。食料、木材と生産物を抽出してくると、その生産過程となる農業、林業と担い手である、農民、林業技術者との間にギャップが生じていると考えられる。新たな食品開発や木材利用に対処しても、農林業の衰退による農村、森林問題には、対処できないという事態が生じていることが想定される。また、森林環境も林業利用の背景を失っては、環境管理を持続的に行うことが出来ない。生命科学の応用も、生命科学の急速な進歩の前に、立ち遅れるばかりである。
 一見、体系づけられたかに見える農学部の構成は、現実の農林業推移の前に、乖離してきており、基礎科学の進歩にも立ち遅れており、その存在意義が希薄となっているのではないだろうか。農学とは農民に依拠するものであると、農学原論のように言い切ることができるか、応用科学として工学や医学のように存在意義があるのだといえるかのどちらかであろうが、古い農学を応用科学とそのまま言い切ることはできない。
 かって、農芸化学であった時代の教員が、アメリカに研修に出かけるのに、生命科学の分野を受け入れ先としているということであった。農芸化学が何故、生命科学なのかという、質問をしたところ、生命はLifeの訳であるが、生物とも生活とも訳されるように、非常に範囲の広い概念であるという。そういえば、空間をSpeceの訳とし、宇宙でも訳せるということとも似ている。スケールがミクロからマクロまで一貫した概念であることを示している。そして、生命の法則性、空間の法則性がスケールを超えて作用していることの認識なのである。その認識によって科学が成立するのであろう。スケールの断片でしか見れない観察は、観察の段階でしかない。農芸化学生命科学の応用たる段階に至ってはいなかったのである。その後、応用生命科学に名前を変更してよかったのであろうか。

森林科学は科学なのか。
 林学が森林科学に変わり、林業を対象とする分野から、森林を対象とする分野に変更したというイメージがある。森林を対象として、何を基礎とし、何にその基礎を応用しようというのであろうか。私が学生であった頃、丁度、林学の改革期であった。森林の施業の話はなく、森林生態学の講義を受けた。森林被害の話は無く、森林動物学の話を面白く聞いた。森林経営の話は無く、林業の経済的な動向の話を聞いた。造林学によって林業の一端に触れた気がした。私が、愚かな学生で、林学の体系を見出せなかったためなのであろうか。同級生は林学とは何かを聞いてみたところ、林学は林業技術者、森林管理に当たる行政官に必要な知識を習得するものだという話を聞いたということであった。ドイツの林学開始の当初の時期の体系からほとんど出ていない話で、がっくりと来てしまった。といって、その古い知識を教えてもらえるわけでもなかったのである。恩師として尊敬する先生ばかりであったのに、なぜ、そんな、体系のない教育がなされていたのか、大いなる疑問であるが、自らも教員となって、学生諸君に体系的森林教育ができたのかと考えると、悔悟の念で一杯である。
 林学に科学的基礎を与えようとした時、林学を構成してきた技術過程は余りにも多義にわたる内容を含み、それぞれの基礎とする科学分野もまた、多いということは、林学改革の中で生じていた。林政学は経済学に依拠し、造林学は林木生理学と森林生態学に依拠し、砂防学は地形学、水文学に依拠するように、結合した林学は実は基礎においてバラバラな寄せ集めでしかなかったかと思われるほどであり、ある人は、林学は雑学であると述べていた。雑学であるゆえに、専門性ががなくなり、専門領域をないがしろにすることにもなるのである。しかし、この改革期には林業という柱が存在するかに見えていた。この林業に重点を見出せなくなり、環境に重点が移ってきた。そこに、森林科学への名称変更の理由があるのではないのだろうか。
 環境科学としての森林科学の構築は可能なのであろうか。森林環境への社会的要請は科学の目的となるほどに存在しうるのだろうか。自然科学として森林を対象とした場合、森林生態学がそれであろう。森林環境としてみる場合、その森林生態学による森林構造の法則を応用して、必要な森林環境を再構成する技術を見出すことが目標となるだろう。森林生態を構成する個々の生物、その生物の生命、と生命科学生態学の基礎となっている。生命の基礎として遺伝子を見出しているが、遺伝子の構造は進化論の遺伝子の分岐として、その分岐を生み出す環境と関係し、生態学は生物群集とその生息の環境条件に結合している。森林生態学は多くの基礎を有する広範な科学であることは間違いが無い。その応用生態学としての林業技術は、造林あるいは育林、森林施業において成立するのであろう。さらに多義な目的を持つ森林の環境の面から、気象学や水文学、地形学、地質、土質、崩壊の機構、土壌とその浸透や保水、動物の生息と食物連鎖など多くの知識と、それらを統合した認識を必要とする。