森林官への期待

はじめに
 日本に森林官の名称が使われていることを知りました。ブログで調べると国有林の森林管理事務所で働く国家公務員であるということです。以前は、担当区で担当区主任が森林管理に大きな役割を果たしていました。想像するところ、担当区主任のような職であるのでしょうか?
 森林の生育に数十年の年月を要し、今日、百年を越える輪伐期による森林育成によって多機能の効果を発揮させることが期待される上で、森林官の役割は非常に大きいものであるでしょう。単なる行政職として数年で移動していくのでは、手入れの効果まで見ることが出来ず、森林育成に十分に寄与することはできないのではないでしょうか。かっての担当区主任は森林に密着して森林を管理し、育林に当たっていたと考えられます。その担当区主任の再現が、森林官であることを期待したいと思うのです。
 国有林は戦後の木材需要に呼応して、奥地林の開発を急いだり、森林蓄積を皆伐によって消耗してしまいました。独立採算によって経営的な破綻が生じると、人員整理を行い、職員はかっての何分の1かに減少してしまいました。森林面積の3分の1を占める国有林の管理が行き届かなくなるのは当然であり、担当区主任の制度も廃止されました。
 経営の柱となる林業生産が停滞すると、森林育成にも支障となって、森林管理の目的が不明確になったのではないでしょうか。しかし、現在は森林蓄積を充実させるために、森林育成をはかる必要があります。放置され、生育が不十分な森林が拡大することを座視することは、環境問題として国民生活への支障となるのではないでしょうか。自然保護として環境が問題とされていますが、人工林や伐採跡地を放置することは自然保護とはならないことです。国有林で森林を保護、管理することに終始することはないと思いますが、積極的な森林育成に取り組み、同時に多機能性の発揮への貢献に尽力されることを期待したいと思います。

ドイツの森林官
 私は大学の林学科で学んだ者ですが、古い林学教育の最後であったようです。丁度、林学の革新期で、林学を構成していた諸分野が、基礎科学に根ざすことが問題とされていました。造林学は生態学へ、経理学は統計学経営学へ、林政学は経済学へ、基礎付ける必要が言われました。その後を考えれば、これは林学の解体でもあったといえます。林学は森林科学となり、森林科学の体系、諸分野の関係は未だに不明確なままではないでしょうか。
 古い林学には何か体系的であったと思いますが、それが何かを学生時代に聞いたところ、森林行政の現場担当に当たった時、技術者として必要な事項によって成り立っていると教えられ、納得したことがあります。林学はドイツから導入されたものであり、諸科学の応用と総合によって成立するとともに、実務的な現場技術によって構成され、大学とともに山林専門学校の教育が重視されていたことを、後に知りました。日本の林学は、ドイツの森林官の教育に一致するものだったと言えます。

日本の林業技術者
 私のわずかな経験では、日本の林業技術者の全貌を云々することはできません。私的な経験の印象で述べることしかできません。森林科学の大学教員として演習林や地域の森林育成で、現場技術者との接触による小さな窓が得られました。大学教員としては森林科学の分野間の協力関係の低さを実感しましたが、その是正に寄与できなかったことを後悔しています。また、森林科学における教育目標の設定の困難さを感じましたが、それにも寄与しなかったことが悔やまれます。卒業生の中には林務行政担当者や現場技術者となって就職した人もいますが、すべて自力で学ぶ必要があったと思い、申し訳なく思っています。