自然保護と環境保全

はじめに
 経済活動における人間の過大な進出に、自然環境は破壊され、その結果、新たな環境問題が発生する。国立公園とされた山岳地域にさえ、観光開発を期待する道路建設が進行したのが、1970年代の列島改造論の時代であった。もうその時の仲間も年老いている。最近、書店で自然保護を題名とした本が見られないのに気がついた。結局、自然保護運動は、一部の運動家だけの主張であったのであろうか。経済社会によって生きているわれわれが、その経済活動を否定するような自然保護は、大衆の要求にはなりえないものであることは確かである。自然保護運動の仲間は、そんな極端な主張、あるいは、山男のひとりよがりな主張を行ったわけではない。自然破壊による環境問題は、逆に経済活動を損なうものであり、地域の利益を一部の企業家に集中することを問題としていたのだと考える。その主張を理解する人はいないわけではなかったからこそ、自然保護の一定の認知がなされたといえるかもしれない。しかし、より以上に経済の停滞が、開発を止めたといえるのだろう。
 低成長時代によって地道な生活が回復し、自然環境は開発の怖れがなくなった。しかし、自然環境は生産的な利用縮小とともに休養利用も減退している。放置され自然回復に向かう場合もあるが、かく乱された自然環境の遷移は、自然の回復とばかりは言い切れない。人間と自然の関係に大きな断絶が生じており、生活に利用し、利用することによって自然が管理されとという循環関係は、高度経済における産業転換と生活様式の変化に対応できなくなっているのだろう。そこに、自然保護から環境保全へと課題の変化があるのかもしれない。
 戦後から現代への自然への対応に関する変化は、経済的動向に左右され、自然環境の一貫した持続性が保たれない状態である。現在の環境保全が、自然と生活の長く持続した環境関係への回帰であるのかはわからないが、戦後の急激な変化の過程を戦前における明治からの近代化の過程とともに、明らかにする必要があるだろう。
 戦後の人間と自然の過程を、Ⅰ、経済回復、Ⅱ、経済成長、Ⅲ、経済限界の時期で考えれば、成長と限界の境界は昭和50年前後の1970年代であろう。その時期に自然保護運動が生じた。経済回復と産業転換は1945年から1960年代とすれば、1980年代以降長く経済の限界の時期を過ごしている。この過程に働く要因は、①産業・経済の要因、その影響をうける②自然環境の要因、また、同様な影響を反映する③社会階層と生活様式の要因であろうか。
 Ⅰ、経済回復期では、③の必要が、①を必要とし、②に負の影響を与えた。、Ⅱ、経済成長期は、①が優先し、③を向上させ、②を必要としたことによって、③と①が対立した。、Ⅲ、経済限界期には、①が優先し、②に対立的となり、これを、①の回復で修復することが期待される。このような単純化した図式が考えられないだろうか。この過程を自然環境の持続性を軸に明らかにすることができるだろう。