風景の模型(8)子供の世界

はじめに
 大人になって、子供の時代はなつかしさだけで、現在の自分の一部であることは忘れている。それが潜在意識となって現在の自分に作用していると感じる時、原風景という言葉が使われる。原風景には何か明るさがないが、強くそこに回帰させる引力が働くようである。1枚の写真がある。小学校の先生を中心に4人の子供が写っている。その一人が自分だが、先生は自分の担任ではない。他の3人は礼装で写真屋で撮っているので、何かの記念だったのだろう。自分は普段着の汚れた姿で、下駄を履いてしかめ面をしている。今もって何故、そこにいたのか分からない。
 3〜4ヶ月前に、その写真の一人とその姉から、姉弟同士の四国の町の社宅で近所の友達で遊んでいたことがあり、なつかしいので会いたいとの話から、写真に写っていた4人の内、3人の姉弟、兄妹の3組が大阪であって、歓談したのだった。もう、6人は退職生活で老後を楽しむだけの生活である。子供の時から会ったことはなかったが、今の老けた顔は、たちまち子供の頃の顔が重なってきた。しかし、数十年の断絶は越える事はできない。再び、思い出に閉じ込めて、現実にはもう出会うことはないだろう。一瞬の思い出と現実の重なりの出会いだった。
 子供には大人の現実とは異なる世界があった。写真に写っていた小生意気なガキが子供時代の自分なのだ。狭い行動範囲でも、豊かな自然に目を輝かせて遊びまわった子供の世界が思い浮かぶ。夢などではない現実なのだ。木は登るため、藪は駆け抜けるため、川は魚を取り、水に飛び込むためにあり、空にはトンボが飛び交い、夕方にはコウモリ、春にはツバメが飛び交って、共生していた。あちこちの家はどんな友達が住んでいるかで誘いをかけてまわり、道には子供が溢れて駆け回っていた。時には激しいけんかもあり、転んで怪我をすることもあった。
 やがて、関西への引越しで、その子供の世界は消失し、殺風景な現実に身を凍らせて、自分を守ろうとした。そして、二度と子供の世界が戻ってくることはなかった。もう、いつの間にか中学生となっていたのだ。読んだ本の中に別の子供の世界があったが、それは大人になっていく過程でしかなかった。現実は大人の世界でしかなくなった。世界を理解することもなく飛び出して、その現実にどうして対処すればよかったのであろうか。今もなお、この悩みは続いており、安穏と老後を楽しんでいるわけにはいかない。

子供の世界
 大人には、世界像が描けないか、間違った世界像を描いて必死になって、その世界に閉じこもろうとするかいずれかであろう。広く、複雑な世界を混乱なしに認識することは、余程の天才であろう。そうした天才の可能性を信じることができれば、世界像にいつかたどり着けると努力を続けるのであろう。しかし、一般人に世界像に近づく手がかりがないわけではなく、ありすぎることが問題であるではないだろうか。そうした多くの手がかりを選択する方法は自分の現実に直面した経験によって吟味し、全く、普遍的な当たり前の分かりきったところに立つことである。
 私の世界像に近づく普遍的なことは、多くの哲学者と科学者が考えていること、世界を構成する物質的な材料は普遍的であるということである。人類が地球上のどこにいようと、地球を構成する物質材料によって存在しているということである。さらに、自分の狭い世界を経験の実体と考え、それを普遍的なものとすると、それぞれの人が狭い世界を経験しており、世界は、そうした多くの人の狭い世界を単位として構成されているということである。この二つの点を手がかりにしてみよう。
 世界を同じ材料とする物質世界と狭い行動空間は、子供の頃に体験していたものだったのである。子供の世界は空想の夢の世界ではなく、現実の、世界を理解する基本的な経験であったのである。子供はその経験を意識に取り込むために、経験を抽象的な言語に転換するのに苦労して、その認識を不完全にしか伝えられない。大人はそれを童話的、空想的なものと間違って解釈するのではないだろうか。経験を意識に保つのは、直接的なイメージであり、空間的体験である。現実の経験は、このように転換して意識化されていくのだろう。それが、現実に対する記憶になって意識に蓄積される。その意識のもとで同じ現実は、再度の追体験となる。

模型の意味について
 模型が空間的現実を縮小したものである点では、現実とは相違しているが、意識の世界では、自身を縮小したものとして、縮小した空間に存在したように意識することができる。バーチャル・リアリティは意識を現実化したものである点で模型の意識体験とは相違するだろう。模型は現実の意識と意識化された現実との関係を縮小空間で実験的に示す方法を暗示していると考えるが、どうだろうか?