森林美学講義

はじめに
 先日、北大の小池先生が信州にお見えになり、信州大学農学部で森林美学の特別講義をされた。感心して聞き入っていたのであるが、ビデオに撮っている様子だったので、メモも取らずにいた。森林風致研究所のメンバーも遠くから出かけて、合計で7人が講義を聞かせていただいた。他のメンバーも講義を聴きたい希望があったのだが、都合がつけられず、出かけられなかった。
 本当にお詫びしなければならないのだが、機械音痴の私は、帰ってビデオの画像をパソコンに保存しようとして難渋している内に記録が消去されてしまった。小池先生とメンバーの諸兄にどう、お詫びを言ってよいか、言葉に窮して、ここで、お詫びを記すしだいである。
 上記の記事から小池先生が心配されて当日の御講義のパワーポイントを送っていたいただきました。ありがとうございました。会員諸兄にもご安心頂きたい思います。73枚に及ぶパワーポイントは講義の内容の豊富さを物語っています。ご要望により拝見していただきたいと思います。

森林美学の講義
 小池先生が現在、担当されている森林美学の講義は北大にのみあって、造林学の研究室の百年の歴史を通じて、また、何代もの講義の担当を通じて連綿と続けられてきたということである。私の聞いた森林美学の講義は、休学をしたせいで、2回聞いており、友人から休学中の講義ノートをみせてもらたので、3回分の内容を知っている。今田先生の講義は3回とも内容が違っているのに、気がついていた。森林美学の最初の講義に美学で取り上げられる調和や均衡などの美の抽象形式について風景を例にとって話されたことを覚えている。森林で美が考えられること自体が興味深く、学科のほとんど全員が出席して聞き入っていたように覚えている。しかし、2回目に聞いた講義は街路樹の配列の話で、美の問題は取り上げられなかった。後に今田先生から頂いた「森林美学の基本問題・・・」の深い内容は、講義ではほとんど含まれていなかったようである。
 森林美学が林学の中でどのような位置づけにあるのか、そもそも林学自体の専門はどのように関係し合っているのかが分からなかった。館脇先生の植物生態学、犬飼先生の動物学との関連も分からなかったが、森林に関して興味深い話題が豊富で、非常に森林から学ぶことに興味が増大したことは確かである。今田先生の講義もその一つであった。
 北大で森林美学の講義が行われてきた原点は、大正時代に「森林美学」を著した新島・村山にあり、特に新島先生は北大林学の初代教授でもあった。東大で「森林美学」の講義が最初に開講されていたのに、北大で同名の著書が出されたのには、何か理由があったのだろう。それは、当時、北海道には未開拓で豊かな原生林があったためではないだろうか。宮部金吾の植物学の研究が展開したのも、森林の豊かさによるのだろう。これが、森林美学が広く流布した理由でもあったのだろう。フォン・ザリッシュもドイツでは体験できなかったような森林が北海道にあったからこそ生まれたのであろう。
 新島らの森林美学を契機に今田先生のドイツ林学に立ち返っての森林美学研究が開始されることになった。しかし、ドイツ林学においての森林美学は施業林における功利と美の調和が課題であり、施業林の確立途上にあった日本では、直接、受け入れらない課題であった。しかし、そうした日本の状態に平行してドイツ林学の進展は目覚しく、メーラーの恒続林思想へと到達して、ザリッシュの森林美学が継承された。この過程を今田先生は綿密に明らかにしている。このドイツの林学の展開は、日本では天然林施業において林分施業法として結実することとなり、直接の導入として照査法の試験地が作られたのであろう。ただ、こうした展開は、森林美学の具体的技術には結合しなかった。それは、戦中の森林荒廃、戦後の森林資源要求の増大から、林業における経済性の重視が大きくなったためである。森林の休養利用の増大も、森林公園の設定に終始してしまった。今田先生が戦後にも持続した森林美学の講義も内容的な展開は困難な状況であったのであろう。
 私の森林美学受講の時期は、拡大造林政策が始まり、人工林拡大、経済性重視が盛んに言われた時期であった。北海道の原生林も急速に失われ、館脇先生は何とか保存をと悲痛な訴えを学生にさえ語りかけていた。今田先生が戦後の状況に森林美学の展開に失望する状態は拡大していたといえる。今田先生の後の講義を林政の小関先生が受け継がれたということであるが、森林美学の存立基盤であった豊かな森林が失われよとしたからこそ、その豊かさの価値を評価する森林美学の必要性を小関先生は感じたからであろう。
 林業の衰退、森林への関心の減少は、林学を衰退させようとしている。森林への関心を回復させ、林業を再生する上で、林学研究者の力が及ばなかったことも林学衰退の直接的な原因といえるかもしれない。現在、あまりにも大きな経済や環境問題の中で、林業現場や地域の森林との関わりは、森林育成の目標を失いがちな状況にあるのだろう。
 こうした中で、現在の北大の森林美学を継承する小池先生の果敢な取り組みは、感激的である。私たちも見習うべきことであり、新島に始まった森林美学が小池先生によって完成することが期待されるのである。