時間の風景

はじめに
 風景は場所、瞬間の知覚であれば、時間的な風景は無く、風景の変化があるというべきであろう。しかし、一瞬に時間の流れが含まれ、一瞬の連続が風景の変化とすれば、風景の中に風景の変化が含まれることになる。これは、空間的な場所の移動による風景の変化と同様である。空間と時間、場所と瞬間の関係は同次元の問題として、空間の3次元に対する時間を加えた4次元の世界と考えればよいことになる。しかし、次元が直線で構成されているとすれば、ただ、無限の広がりとして存在は拡散しているだけで、場所も一瞬もまた、拡散し、定点を定めることができなくなる。拡散しないで、場所や瞬間が知覚できるのは、対置し、回帰する存在を想定し、知覚の範囲が限定されていることを想定しているからといえる。
 昨日見た虹と夕焼けは確かに一瞬で終わり、同じ虹や夕焼けを二度と見ることはないだろう。しかし、場所の移動にも関わらず、しばらくは持続し、鮮明な風景が次第に変化して消え去ったとは、場所、一瞬とはいえなかったということである。それは、知覚対象とした虹や夕焼けの存在条件によって生まれた知覚世界であった。抽象的な言い方では、人間と事物、事物と事物の相互関係が、限定した世界を作り、そこに瞬間や場所を位置づける変化が生じていると推定することができる。
 以上のようなあいまいな憶測よりは、全く理解できていない時間と空間に関する普遍的な法則が既に明らかなのであろう。ここでは、いつも仮説の上で現実的な世界と経験を解釈しようとすものであることを明言して、憶測の言い訳としておきたい。

ミクロとマクロ 注目と全体視 近景と遠景
波長と拡散 回転と循環 断面と平面 
運動・速度と時間・距離 
過去と未来 螺旋型−循環 停滞と進行