環境共存ー仮説の社会構造

はじめに
 地球の環境が生み出した生物の進化を考えると、生物は環境の一部である。その生物の行う光合成活動によって、大気中に酸素が増えていったという。そこで、陸上における植物の繁殖は、同化した炭素による有機物を堆積させ、大気と土壌を植物生育する環境へと改変した。こうした植物の進化の跡が森林であろう。その森林環境によって多くの動物が生息している。陸上では、動物は植物に依存しながら、様々な環境に適応して進化を遂げ、植物の繁殖を助けて、生物環境を広げ、多様で複雑な環境を作り出した。こうした生物の多様な構成が森林環境であり生物有機体である。どの生物もこの有機体を形成する部分となって活動している。ダーウィンの進化論はこうした生物と環境が一体となった進化が論じられている。
 恒続林思想を唱えたメーラーダーウィンの考えを林業によって形成され、利用される森林に適応して、森林を有機体を考えた。近代の産業発展と人口増大の交互作用による活動は、地球環境を利用しながら、不可逆的に破壊を拡大していった。荒廃した土地の再生に植林による森林回復が必要とされ、より以上の深刻な荒廃を避けるために自然保護を必要とし、土地自体の保全として原生林の保存、これ以上の開発の停止を行い、人間の活動を抑制する必要が生じた。
 人類が原始生活を営んだ時期には、環境に適応しなくてはならず、人類の活動は抑制されていた。古代の成立の契機となる農業は、自然を利用して、自然を改造することによって成立している。森林は土地利用のために破壊され、木材などの資源を得るために破壊された。また、こうした文明化された人間の活動を、原始的な部族の力と一体となって阻むものであった。しかし、自然の側の抵抗力は、原始人の文明化によって克服され、原生林は破壊されていったのであろう。農業は自然を利用することによって二次的な自然を作り出したといえる。その、二次的自然を再生することによって生活を持続することができた。機械文明、工業文明と言われる近代は、農業文明を破壊し、食糧生産、林業の産業に分断して行ったといえる。こうした人間の活動に自然は相手にならない破壊の対象でしかなかった。
 近代文明初期の破壊的進展は、人間の生存環境にまで破壊的であった。階級分化と植民地の拡大は、文明諸国に内部対立と支配される民族の対立を呼び起こした。意識の面から環境破壊への危惧、失われ環境への愛惜が生じた。生活環境のために緑地の確保が必要とされ、共有地の森林保護の運動が生じた。経済的利益のための産業活動が環境、社会に悪影響となる面か、その活動を制限し、社会全体として環境と社会の改善に取り組む必要が生じた。内部的な階級対立から、資本主義経済と民主主義の協調が成立していったといえる。植民地主義も民族の独立によって後退していった。こうした事態に国連による人類の英知を結集した対処が生み出された。地球環境問題への対処もその一つである。
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芭蕉
 西行法師 寒山拾得 竹林の七賢 文人 士太夫