風景の模型(15)塩尻市の立体地形図

はじめに
 下西条みどりの会から塩尻市立体地形図完成の披露・祝賀会のご案内を頂いた。9月14日が都合が悪く、出席できないが、11月の下西条の文化祭で披露があるということなのでぜひ、行きたいと考えている。
 この立体地形図は塩尻市の広域合併を契機に広がった市域を眺望できる地形模型を作ろうと、下西条のみどりの会が1週間に1回づつ集まって、4年2ヶ月3000時間を費やして完成に至ったものである。2万5千分の1の地形図の等高線をたどってコルク板を切り抜き、それを120枚以上重ね、最後を市長が積み上げて完成させるということである。

立体地図の効用
 みどりの会の方々のこの立体地形図の情熱がどこから生まれているのか、以前からいろいろと想像している。多くの人の自由な参加によって成り立っているので、一人ひとり、その情熱は異なるかもしれないが、共同して取り組むことには何か共通の目的意識があると思うのである。最初の地形模型は、模型作りの方法を学習するところから始まっているということである。地形模型を作る目的は、みどりの会が地域の森林や植生の育成に取り組むに当たって、下西条集落の裏山となる霧訪山につながる山地の全貌を共同で理解することにあったのではないだろうか。学習の後、下西条集落と裏山の区域一帯の模型づくりが開始され完成した。これによって、山地の野草や樹木の位置を模型上に記して共通の認識となることが可能となった。モミの巨木がどこにあるか、貴重な野草の群落がどこにあるかが一目瞭然となった。さらに、霧訪山の登山道の整備に取り組むにも、大いに役立てられたことであろう。
 地形図を立体化することで、どこに何があるか、そこに到達するためにはどれだけ時間と労力がかkるかが分かり、地図と実体験とを結合させるのに役立てられたと言える。突然の災害があり、山地の危険性が意識された時、どこが被害箇所かによって危険の要因の理解にも役立てられた。地域環境としての山地を共通して理解する上で役立つことを実際経験することになった。みどりの会の取り組みも、山地の利用が行われなくなり、放置された山地を昔のように親しまれる場所とすることを目的として始まったときくが、利用されていた時代には、山地は余すところなく住民の知るところだったのであろう。そのかっての知識が再現する上で立体地形図は効果的であったといえる。地形図に示された場所は住民の誰かの経験がこめられ、なんらかの資源の所在を示すものであり、こうした住民生活の意味を再現させたのである。

立体地図による取り組み
 生活区域の範囲を超えて、合併して広域化した区域の立体地形図に、何故、取り組んできたのであろうか。市域は木曾谷へと広がり、山地の領域は中央アルプスを含むものとなった。都市部は近郊農村を越えて山地の流域の奥地に広がった。都市と農村、山地の自然環境を一体とした生活圏域が成立したことになる。下西条は市域の境界地区であったのに、ほとんど中心の位置になり、都市部と自然環境の結節点を意味するようになってきた。歴史を遡れば、中仙道で木曾の奈良井宿から塩尻宿、小野宿は連結していたのである。豊かな松本平に面して、農村と都市が発展してきたが、山地の自然環境から遊離もしてきた。これを広域合併は解消できるチャンスともなっているのである。
 期せずして取り組まれてきた、あるいは大きな期待で取り組まれてきた立体地形図に市長が最後の手を入れることは大きな意味があると思うのである。