自然風和風庭園

はじめに
 以前、農家庭の調査を行った時、自分の庭の庭園の様式を応えてもらった。和風と洋風の選択肢を上げておいたが、それらの選択肢の回答は少なかった。そして自然風と回答する人が多かった。農家の仕事庭が使われなくなり、その庭を我流で石や庭木を持ち込んで作られた造園を和風とは言わず、玄関前の花壇を洋風とは言わなくなっていることに気づかされた。自然風と言えば欧米でも現代的な造園の潮流ではあるだろうから、日本の個人庭園も国際的な潮流にあるのだろうか。しかし、イギリス庭園が流行し、日本的な自然風が見失われたのではないだろうか。
 築山庭などがいかにも伝統的な日本庭園であるように思いがちだが、自由な自然風の庭が文人庭として存在していることに、田中正大氏は注目していた。現代の自然風が個人の生活の庭として自由に作られる点で、この文人庭の流れを汲んでいるように感じられる。庭師が作るのではなく、個人が趣味的に作る点に様式化できない自由さがある。しかし、共通する点は自然の良さを模写し、断片を切り取り、抽象化して庭に再現していることである。日本人の自然の感覚が生かされた庭を、自然風と呼んでいるのだろう。しかし、それこそが和風庭園ではないだろうか。様式化は時代的な身分制度や文化によってもたらされ、寝殿造りの貴族の庭、禅宗寺院に庭、大名庭園、茶庭などが生まれたが、それは、庶民に庭、近代住宅の庭からは隔絶している。そうした歴史的な様式の庭は日本庭園に総称されるであろうが、和風庭園とは相違している。
 和風庭園は明治末の住宅様式の近代化による洋風庭園の流行に対比して、在来の庭園を和風としたところに生まれたものであろう。しかし、和洋の混乱か、調和した新たな形式の生成か、現代住宅をどのように呼んでよいか分からないが、和洋が対立的な関係ではなくなったことは確かだろう。同時に和洋の特徴が認識されにくくなって、自然風の表現が生まれたのかもしれない。自然風の中に和風の特徴を見出す新たな和風庭園を位置づけ、自然洋風庭園との違いを見出すことが必要ではないだろうか。その必要とは、近代和風生活の再認識の必要とともにあるといえる。

住宅庭の生活機能と敷地条件
 多くの新旧の住宅地があり、様々な住居が敷地に多様な庭を生み出している。
和風自然風住宅庭の自然材料
 自然を感じさせるには、人工を無くすことである。しかし、人工的な敷地に人工を無くすことはできない。人工的な敷地を一層人工化することも合理的な庭つくりである。人工の隙間、時間による風化は自然の回復の条件や兆しである。しかし、閉鎖的な空間には自然環境が延長してくるような連続性が生じない。人工物、囲いによる規制は、自由さを阻害する。囲いの内部の庭がいかに人工を排除して自然に満ちていたとしても、そこには自然の自由さ、連続性は見出せない。