森林浴の成立

はじめに
 森林浴という言葉は、造語であるにも関わらず、相当一般化している。木曾赤沢の自然休養林で、当時の林野庁長官の秋山氏が森林の自然休養を「森林浴」と称したことによるとされている。森林浴は海水浴に類している。また、温泉浴にも類している。英国で、保養に温泉浴が効果があるとして、保養都市バースに始まったことは著名であり、バースにおけるロイヤル・クレッセントなどのマンション建築が商業的に建設されたことでも有名である。その後、海水浴の保養効果が言われ、18世紀後半、海岸保養都市ブライトンの展開がなされたということである。
 高原への保養は、アルプスの少女ハイジから読み取ることができるが、一方、当時の産業都市の大気汚染の深刻さを示しており、そうした産業都市からの転地が保養の必要性でもあったのであろう。しかし、森林浴がこうした欧米の保養と同一なものかは、疑問であり、森林浴という言葉も西欧には生じなかったのは、何故なのであろう。イギリスでは森林が森林地域を形成するほどには残っていなかった。ドイツでも森林は狩猟地や共有地、林業地であって、一般の休養の場として専用とはなりえなかったためであろうか。日本では国有林の面積は広大であり、自然休養にその一部を開放して自然休養林が作られたため、森林浴という言葉もありえたのであろうか。個人有であれ、公有林であれ、国土に占める森林の占める面積は広大であり、多くの地域で森林は近くにあり、入ることが出来る。やがて、森林浴は森林の中に入ることを指すようになったのであろう。

林内の快適さ
 森林の中は、緑陰と空気の新鮮さによって、海中にあるような空間であり、浴する感覚は五感で感じ取れる。林内にあることが、森林浴となれば、森林浴によって感じられる林内の感覚は、快適である。この快適さを森林アメニティと呼ばれるようになった。しかし、アメニティは都市環境の快適さへの合意を示す言葉であり、森林アメニティが適切であったとは言えないのであろう。日本における都市環境の良好と感じられる地区を風致地区として指定する制度がある。快適さや良好さの感覚は、現地の状態と即応してはじめて感じられるもので、どんな感覚かを説明することは不可能なことである。清水による論文「林相の異なるアカマツーヒノキ二段林における林分構造、林内環境、快適性の関係」はこの困難な課題に取り組むものであった。
 森林浴発祥の地とされる赤沢自然休養林で、林内の快適さは、300年生のヒノキ林によって確保されているのであろうか。春夏秋と利用者が多いことは確かである。林間の散策路は数箇所に及び、その各コースが歩いて楽しまれている。しかし、それが森林浴であろうか。散策していると森に浸る感覚があることは確かである。その感覚が森林浴なのであろうか。赤沢のヒノキ林は他には無く、その点で遠方から人々が訪れるだけの魅力を有している。
 しかし、森林を縦貫する渓谷の流れは、水が澄んでいて、冷たくて気持ちが良い。実のところ、夏にはこの水辺に人々は群がり、水浴を楽しんでいる。森が開かれた渓谷は明るく、楽しい。対比的に林内は暗く、夏は暑苦しい。森を散策する人も少なくなる。快適というよりは、健康のためのトレーニングかもしれない。歩いて、汗をかいて、尾根の休憩で、風に涼むことで、爽快さを感じる。これが、森林浴なのであろうか。