風景の背景と前景

はじめに
 梅雨明けとともに夏空が広がり、青空の雲が自由な模様を描いている。夕日に入道雲が立体的となって、あたかも空の主役のように目立とうとしている。雲は空に奥行きを与え、一様な青空を背景として白い雲は空の主役である。しかし、地上と空は隔絶するために、雲を含めて、地上の事物の背景として空がある。空があまりにも美しい時、地上の事物はあまりにもみすぼらしい。空はは風景自体であり、また、空以上のの風景の背景は存在しない。しかし、空の実体は存在しない。大気に浮かぶ細かいちりが太陽の光に反射して青く輝いているだけなのだ。
 夜はその輝きが失われ、暗い空洞が無限にまで広がっている。その空間に広がる無数の星の輝きによって、宇宙が単なる空虚な広がりではないことを感じさせる。空間は光の輝きに満たされ、空は夜にはとくに実体感がある。一方、地上は闇に沈み、空に影を投げかけている。地上に人工の輝きがある時、あたかも、地上にばら撒かれた星屑が空の輝きと競い合う。

空の色
 空に浮かぶ雲は白、しかし、その白さから陰影が生じる。白い雲は、光を透過させずに、反射してしまうからである。夜の空は、光を喪失した暗さによる黒である。昼でも、光が大気を透過したならば、暗い宇宙による黒の空となるだろう。昼の空の青色も白に近い青と黒に近い青色に見える時がある。澄み切った空は黒に近く、深い谷の空も黒に近くなるように思う。深い谷は空の乱反射が遮られるからであろうか。空の青色は、白と黒との混合色のようにも感じられる。
 白に近い黄色と黒に近い赤色が夕方や朝の光が弱まった時に見られる。大気を傾いた太陽の光線が側方から指すために、大気の塵の乱反射が強まり、光が弱まるためであることを読んだことがある。黄色と青色の混合色は緑色となり、赤色と青色とは紫色となるが、紫色の空があっても、緑色の空がないのは何故だろうか。
 雲の背景となる空の円蓋の表面は、一様な色彩で白から青、青から黒色に、時に、黄色から赤色に変化する。雲と地上は陽光を反射して空の背景に対置される。視界の涯にある広大な空を背景として、様々な事物と要素によって構成された風景が初めて成立するのであろう。この空は地上のどの場所にも存在し、人々の共通のものであり、それ故に、自然への喜びを感じる人にとって、風景が共通なものとなるのではないだろうか。また、一瞬の空の変化が風景を条件づけ、見る人への印象を左右している点でも、同じ風景を見る人の心を共通のものとするのではないだろうか。