生活空間のイメージ

はじめに
 生活は日々の行動の全体によって構成されており、個々の行動の知覚が生活に統合されて、生活空間の全体像に意識化されるのであろう。意識化された生活空間は視覚的なイメージで部分と全体が統合されている。現代は写真、ビデオなどの記録が、行動空間の記憶を補うものとなり、また、地図やナビゲーターは知らない土地の空間構造のイメージを瞬時に提供してくれる。記録されたイメージが行動空間を誘導してくるといえる。
 普段の生活において、意識が行動を喚起させ。行動する空間の知覚が意識化され、記憶のイメージと照合されているのではないだろうか。行動で生じる生活空間と既に意識化された生活空間のイメージが相互に補完して、生活を成立させている。
 私の経験としてであるが、生活の範囲が広がるとそのイメージも大きく、開放的となり、範囲の狭小さは生活範囲を狭め、閉鎖的となる。行動の形態によって生活空間と主体との交流関係の強固さや希薄さが相違し、また、イメージが喚起させる感情が相違する。

生活空間のイメージ
 意識内のイメージがどんなものなのかを記憶から取り出し、表現することは、意識の継起の断片としては可能であるが、全体像は難しい。また、日々の経験の積み重ねによって、新たな記憶が加わり、忘れられる記憶もあり、表現しようとすると鮮明であったり、曖昧であったりする。この点で確実にいえないが、イメージの確実さは日々の生活パターンによって相違してくると考えられる。
 イメージの確実さを考えてみると、客観的な生活空間との照合によって判断できることが考えられる。イメージが客観的な事実を反映したものと確信されるかが、生活行動の確実を生じさせる。

生活の意味によるイメージの確実さ
 生活の目的は個々の日々の生存から長期の計画、生活の持続、社会的な交流などがあり、目的に向かって行動の想定がある。こうした生活パターンを意識して行動するところに、イメージの意味づけが行われる。意味の強弱によってイメージの鮮明さが相違してくる。
 目的地に行こうとするとき、目的の場所のイメージが浮かび上がる。その場所に行こうとする途中で、途中のイメージが最初の念頭に浮かんでいなかったことに気がつく。出会った場所のイメージから次の場所のイメージ
次々と浮かんで、実際のイメージに照合されていく。照合によって記憶されたイメージの確実さ確認される。目的地が出発地と一致して回帰してくる場合、行動のコースの途中のイメージは不明瞭である。途中で出会う場面は過去の体験であるとともに、新鮮さが感じられる。
 いつも同じ環境の中での習慣的な行動は、無意識の内に行動し、イメージも希薄であり、それ故に確認がおろそかになる。遠い将来に向けた計画の実現場面が空想されるとき、実現の熱意によって

イメージの意味
 記録された視覚は事実のイメージを突きつけるが、そこに意味があるかは、意識内のイメージとなり、判断が働くことによってである。写真は事実の一部と瞬間を抽出することによって、イメージから喚起される意味を印象づける可能性がある。