造園学原論覚書1

はじめに
 造園学の原論は、造園学の出発をなす時期に田村剛によって書かれている。しかし、その後に、造園学原論が論じられることはなく、未だに造園とは何かの共通認識は不明確ではないのだろうか。これは諸説が生まれ、議論が噛み合わないことに現れている。学会は原論部会を持っているが、歴史諸論が大部分であり、投稿論文の区分に使われているもので、原論自体が論じられるものとは言えない。
 以上の無いものねだりの批判だけでは済まない状態に至っていることが問題なのであるから、原論を提示することが必要であり、それは批判に耐えうるものでなくてはならない。また、現状の諸問題に応える普遍的で基本的な考え方を提示できるものでなくてはならない。建築学ではこのような原論を見出して建築学の土台を見出しているように見える。
 造園学とは何ですか?に対して、未だ庭園や公園、景観を扱っていますという答えしかできないことは恥ずかしい。何故、庭園なのですか?公園や景観とどのような関係があるのですか?また、何故に庭園や公園、景観を取り上げるのですか?に対して、誰もが必要とし、普遍的な問題であるからと応えると、どのような普遍性があるのですか、その普遍性の実体は何ですかという質問となる。造園学が科学であるためにはこの質問の連鎖に答えて、造園の実体を究める必要がある。

生活空間
 造園の実体は何か、個々の人の作る庭の空間も造園の一部であろうが、何のために、どのように作るのかによって生み出された空間である。庭の空間は、作る人の意識の顕れであり、その空間を作り出した技術と労働の成果である。また、庭の空間の確保は、自然の所与であるとともに、社会的な土地所有関係の一端である。これらの要因の全てが庭園空間を成立させている実体であり、個々の人々の生活空間の一部なのである。(散歩に見る住宅地の個々の庭園空間は以上の考えの実例である。)
 個々の日常生活空間は住居を拠点としている。敷地に建てられた住宅は生活の拠点であり、自然環境から遮断された屋内を確保して成立している。庭空間は敷地に作られた住宅以外の部分を生活空間として利用するために作られたものである。戸外空間であり、生活空間の一部とすれば、戸外室である。しかし、戸外の敷地の利用には、敷地外から外部に接する空間であり、外部の影響を遮断し、緩和させる必要がある。住宅の外観を作り出し、外部の人々に生活の一部を表現する空間ともなる。
 生活空間論としての造園原論は田村の「戸外室」に発端があるのであろう。戦後に昭和35年に著された「現代のにわ」は、原論の骨格となる生活空間論の造園が展開し、昭和36年に著された造園技術」は生活空間に展開する造園分野を総論として論じ、造園技術の位置づけを行おうとしたものと考えられる。しかし、その後、造園原論は成熟していない。