2012-01-01から1年間の記事一覧

公園のシラカンバ

はじめに 公園でサクラの木の中にシラカンバの木があった。サクラから抜きんでて生育し、単木の樹冠を広げている。さらに、大木になる可能性がある。しかし、虫がつきやすい弱点があるので、その虫が入らないことを期待するのみである。シラカンバの樹皮から…

林檎園の林床

はじめに 先日、ドナルド・キーンさんの銀閣寺でのテレビ対談を拝見した。キーンさんは日本人がサクラをことのほか好むことを弘前に出かけたおりの花見の賑わいとともに、林檎園の花盛りには一顧だにしない人々の様子から説明していた。桜は花を楽しむだけに…

森の木の工作

はじめに 森林の手入れのために間伐いや択伐を行なった。アカマツ林の下層にはリョウブやツツジ、ソヨゴ、ヒノキがみられるが、長年の放置で衰退し、カエデやコシアブラが増えてきている。明るくなった林床から、これらの下層植生の生育が増進させられること…

日常生活の記録

はじめに カレンダーに予定を書き込む。日々の予定は、1日のはじめに整理しておく。それ以外のことは、習慣的に行動しながら、予定を修正して実行する。予定は将来やらなくてはならないと考えていることであるが、義務的なこと、例えば、免許の更新とか義務…

事実と真実

はじめに 歴史的な研究著述には事実が基礎となることには間違いない。しかし、年代的な事実の羅列が何を物語るかは、事実そのものではなく、推測である。推測が真実であるかは明らかではない。時代的条件と事実の関係が必然的な結合してる場合に、その関係は…

若松の魚屋4代

はじめに 母の実家は若松の魚屋。幼いころ祖母の代から70年にわたって訪ねている。少し年上の3代目とは幼い頃からの兄貴分。寡黙だが奥さんとともにいつも親切に迎えてくれる。しかし、昨年末に亡くなって、その息子が4代目となった。祖母の夫が大正時代…

国の盛衰と山河の回復と森林美学

はじめに 昨年は東北大震災、福島原発事故に社会の大動転が生じました。私の人生では第二次世界大戦(1920)、安保紛争(1960)、大学紛争(1969)の社会転換がありました。高度経済、バブル経済の消費経済の進展はこうした社会転換を覆い隠して…

視線と風景

はじめに 老眼が進行し、メガネがなくては文字の判読ができなくなった。遠景はさしさわりがなく、その点では全景の認識から周囲が把握され、一方、近景の事物の細部には注意がおろそかになっているようである。これは、視線が定まらないことと関係し、それは…

里山の衰退と再生

はじめに 里山という概念自体が新しいものであるという論議があるが、里を集落と考えれば、里が成立してから後背地の山としての里山の実体は古代からのものであろう。原始時代の自然に適応した生活のなかでは、集団のテリトリーは存在しても、集団の拠点とな…

神部氏の難問 生物は考える

はじめに 生物は生存、生育のために自然を利用し、精緻な思考を内包している。人間は自然を利用するために、意識を働かせて知識として、思考する。という課題が今回の神部氏の難問であり、この直観に賛同するための論拠を明らかにしなくてはならない。既に誰…

間伐における樹木の成長の促進と抑制

はじめに 林木の成長とともに森林は高密となり、林木間の競争が激化してくる。競争によって優勢木と劣勢木が明確となり、劣勢木は成長が優勢木によって抑制され、衰退する。優勢、劣勢は樹高と樹冠の大きさの差による受光量の差であり、この差が成長量の差と…

生駒山地の実体

はじめに 大阪府民の森は約40年前に設定されているが、現在、府民の森の園地利用にとって山地が放置されることによって成立したコナラ林が問題となっている。放置林は、府民の森にかぎられず、生駒山地全体にあり、さらに、日本全国の里山に存在している。…

人による森林の盛衰

はじめに 池内紀「人と森の物語」は森林の盛衰が人によるものであることを示している。しかし、森林は自然の遷移によるものであることが多く、奥山には極相に近い天然林が保たれていた。人の植林による森林は、海岸林、緑地に保たれてきたこと、天然林の保全…

幾山河

はじめに 池内紀「人と森の物語」を読んでいて、静岡県の千本松原の話の中に若山牧水がここに住みつき、千本松原の伐採反対運動に関わったことが記されている。若山牧水の代表作は「幾山河」であるそうだが、旅行く牧水が駿河湾を囲む千本松原が余程気に入っ…

風景とイメージ

はじめに 個人のある場所のイメージは、どのように得られるのであろうか?その場所の風景はその場所に到達するまでの経験とその心理的変化によって左右され、また、過去の様々なイメージの連想によって成立する。また、それだけで風景が認識されるわけではな…

樹木空間の場所性

はじめに 環境は人間であれ他の生物であれ、主体を中心にした外界の周囲であり、中心からの位置が場所である。主体自身が外界に向かった広がりを持ち、環境としての周囲に交流を持つが、その交流の範囲が場所の広がりとなる。交流の範囲がその主体の活動空間…

松本の都市周辺林の概観

はじめに 松本に住んで、市街周辺の森林を目に留めてきた。市街は東西南北に森林が見られるが、西と南は平野部に開口している。それぞれの場所に合った様々な森林が見られる。河畔にはニセアカシア林、山地にはアカマツ林が多いようである。アカマツ林にコン…

森林・公園・庭園

はじめに 森林美学において、ザーリッシュは森林と公園、森林と公園が共存させるべきではないと述べている。なぜなのだろうか。日本庭園は自然を学び、自然に従って作ることが原則である。しかし、日本庭園は自然そのものではなく、自然のエッセンスである、…

総合の眺めとしての風景

はじめに 「風景は環境の総合した眺めである」とある哲学者が述べている。環境は様々な要素あるいは要因によって成立している。しかし、風景の知覚は、外界を一瞬の内に視野の内に映し出す。私はこの風景の意味を「風景概念の構造」として明らかにしようとし…