森林遷移

植生遷移は一年草から多年草、樹木で構成される森林へと遷移し、森林の樹木が陽樹から陰樹へと更新する。1年草から多年草、森林までの多層な構造への変化は、植生遷移としてわかるが、森林を形成してからの森林更新を植生遷移と呼ぶのに躊躇する。

風景の背後にあるもの

風景は瞬間的に外界が印象づけられた主体の知覚である。瞬間の場面は、環境の一部となる視点場所からの外界であり、環境の全体像を俯瞰できる空間的な広がりがあり、空間的な広がりに存在する自然と人為の要素が知覚像を構成している眺めの知覚といえる。空…

森林の五感の知覚

近くの森林は農地、住宅地、とともに日々の散歩の場所である。住居からの散歩は行く場所が限られてくる。同じ場所を散歩しても、天候や四季折々に変化があり、出会う人も相違して、行くたびに新鮮な体験が生じる。住宅地、農地、森林の順に、季節による環境…

皆伐による森林喪失

近くの山地に出かけ、皆伐地を見かけた。周辺に残っている森林は密生し、人工林に広葉樹も混生してきていた。数十年生の放置ヒノキ林と思われる。伐採された木材は玉切りされて、積まれ、搬出されるのを待っていた。下層の木も取り払われ、伐採跡地の空漠と…

アルプス公園の樹林衰退

松本市のアルプス公園は拡張計画の委員会に参加していた。松本市発足の記念事業に緑化フェアーを誘致し、大々的に開設を祝いたいとの意図が、松本市から計画を委託されたコンサルタントにあった。しかし、市民代表などによる委員会では賛否両論で、対立し、…

竹林整備

松本の竹林には、ハチクを見かける。手入れが悪い竹林は密生して、太い竹でも曲がり、折れ重なっているのを見かける。林床は暗く、植生は何も無い状態である。道にまで倒れてくることもある。農業資材などにも利用されず、タケノコも採られないためであろう。…

地表変動論と植生の被覆

はじめに、 地表変動論は1979年に東三郎先生の書かれた論文である。これを、馬場多久男先生の南アルプスのカラマツ生育の消長に適用して、1995年に森林と土砂流出の循環的変動の考察の論文がまとめられた。地形形成と植生の消長が関連し、土砂の変動の中で一…

風景の創造

朝日が出てくるまでの一瞬から朝日によって風景の様相が変化する。平板な陰影は色彩を帯び、陽光によって膨らみを帯び、遠景に向かって近景から中景へと視線が連続する。それとともに、大気が息づき、場所から眺望へと広がる空間全体が見る主体と一体となる…

ザーリッシュのモットー

以下の銘は、 芸術と技工の相違が、林業芸術と林業技術の相違に当てはめた、 ザーリッシュの考えを示している。 林業を芸術たらしめるものは何であろうか? 銘: 未熟な頭脳には、それはいつまでも技工でしょう 優れた頭脳に、それは芸術です ゲーテ, ヴィル…

飛び口三か条

預かっていた飛び口を丸太が落ちて、折ってしまった。お詫びをする前に直しておこうと、森脇商店に持っていった。森脇商店の店番はとても元気なおばあさんで、ご主人が林業に携わり、その後、林業道具専門の店を開き、50年も続いているということである。 …

イブモンタンと造園家

親しかった卒業生、T君が今年、病で無くなった。奥さんは家族葬で弔い、樹木葬で自然へと返した、友人とは若い時から変わらずに交信して、親しさが変わることは無かった。造園施工会社が勤めてから、イブ・モンタンの最後の講演にパリに行ってきたことを聞い…

霧の朝

朝、窓を開けると、霧で覆われていた。この季節、霧の朝は暖かな一日の始まりである。陽光が上から射すようになると、一瞬の内に霧が払われ、明るい地表が鮮明となってくる。

観光の風景

はじめに 観光は日常とは異なる風景を見に行くことと言うのであろうか?私は、そうした旅行を好んではいない。何か、その異なる風景で生活する人の邪魔な存在ではないか、あるいは、観光業によって適当に足合われているのではないかと心配になるからである。…

近代と民俗の世界 農家の庭と土手草、

はじめに 農家の庭、山間地水田に見られる土手の野草を、研究主題としていたことがある。これは、柳田国男の文の風景の成長と信州随筆いう文中にヒントを得ている。柳田国男が民俗学の証左として取り上げる事象が現在の農村生活の中に過去からの生活行為の継…

宇沢弘文氏と出会ったこと

宇沢弘文氏が亡くなられ、NHK特集番組が放送され、伊那に南アルプス林道の自然保護運動の調査団が来られたことを思い出した。その後「自動車の社会的効用」が出版され、この調査の結果に触れられていることを、人から指摘されたことを思い出した。特集番組に…

生活の背景となる風景

はじめに モナ・リザはあまりにも現代的に感じられる。なぜか?それは人物の内面が背景となる風景と一体化しているからではないだろうか?レオナルド・ダ・ヴィンチは、ルネッサンスに出現した風景画の源流だと言われている。マリアの背景に描かれた岩山の風…

林分構造

はじめに 森林は林木が一様に広がっているのではなく、単位となる林分によって区分されている。これは、一様に植栽された人工林では見分けられない。また、天然林でも幼齢林の段階では、一斉に更新したした状態では見出せない。林冠が閉鎖し、隣接木が競争関…

天空の風景

はじめに 夜空の風景は地球から見た宇宙の風景である。宇宙を見る風景は望遠鏡によって開かれた。星空が星座として、月の影が満月から新月へと変化し、潮の満ち欠けと関連し、太陽が日の出から夕日へ、昼から夜へと移動し、その太陽が季節によって高さを変化…

造園論4造園の領域

造園の収斂する所 造園は個々の人々、近代市民社会でいう個々の市民の環境創造として庭園が思い浮かぶ。庭園は環境の創造というより、園芸の場としての菜園と重なる。また、庭園は住居の敷地への拡大として戸外室とも考えられた。造園の拡散 原始共同体の社…

造園論3

広場から庭へ 造園雑誌で広場論を展開したのは、渡辺達三氏であり、其の展開に期待をよせていた。しかし、日本において、実体としての広場はあいまいで、界隈、道や辻などが生活空間として感じられる広場的な場所であるのかも知れない。いや、日本には古代か…

造園論2

そもそも 人間は動物であり、猿類の一種であり、アフリカのチンパンジーに先祖を共通する原人を先祖としていると推定されるようになった。この仮説はもう一般的知識となっている。人間が動物と違う所は、知能を持ち、自然界に無い人工物を生み出し、環境を改…

樹形と林相

はじめに 長年、各所の森林を見て来た経験に過ぎないことであり、科学的根拠があることではないが、樹形と林相との関係について気がついたことを述べる。これが風致施業の実際に欠かせない事項であるからである。ドイツの最近の林業技術の基礎にも取り上げら…

私の考える造園論

はじめに 造園の普遍的論拠 ザーリッシュの森林美学では、美がいかに森林に適用されるかが、最初に述べられている。美が真と関係し、善とも結合している。真善美は人類究極の理想とする理念であることが、古代ギリシャで既に問題とされており、無数の探求と…

生活の庭

はじめに 近代社会は、個人の独立と自由によって成り立っており、国家の憲法の基本とされている。こうした市民社会を背景として、個人生活が謳歌され、小さな敷地に自分の住居を持ち、その敷地に個人の庭が創り出された。 庭は生活の場であり、個人の自由な…

造園シマ・クニ論批判

はじめに 造園はニワ造りに由来する点で人類の古代に遡ることができる。壮大な造園史がそれ故に何人もの人によって試みられたたのである。さらに、広場論では原始時代の共同体論に由来し、人類の根源にまで遡る論議となるのである。これらの基本要因は人間と…

森林景観の過去と未来

はじめに 森林景観と言えば、眺望の中で、山地を覆う森林景観を思い浮かべる。広く、遠い山地の緑としての森林景観は、一様で、農村や市街の背景であれば、、歴史を遡っても、地形の特徴ととともに、不変のように感じられる。農村や市街は人々の生活の場で変…

風景論議

はじめに 風景は風景画によって成立した環境の眺めであることをA氏とともに確認した。A氏によれば東南アジアのある国で風景という言葉がオランダの風景画から生じものだと当国の人から言われたとのことである。私自身、ある中国人に風景が使われているか、そ…

居住環境を視点場とする日常風景

はじめに 風景は個人の環境知覚を風景と意識するものといえる。観光などの非日常の風景が問題となり、固定された風景地の景観が観光客の共通風景として問題となる。しかし、これはメディアに支配された情報提供によるところが大きい。

美の喜び

はじめに 美は優美で、調和や均衡、対比やリズムなどの知覚要素の関係に関して、喜びが感じられるものでるだろう。これに対比して崇高もまた美である事が問題とされてきた。イギリス風景式庭園に関してレプトンとギルピンとの論争があったとされている。ギル…

森林は大気の中に生きている

はじめに 森林は大地に根を下ろし、太陽に向かって樹木は枝を伸ばし、葉は光を受けてすべての植物を活動させる。地表を覆う大気、その大気の中で森林が地面を覆っている。地表で生きる生物は森林が大気の中に生きていることを知っている。生物自体が森林とと…